ステロイドの副作用?視界が白く塞がれる②

タクシーの中で症状

週明けの10月3日、セカンドオピニオンを求めて、再び日本人の血液内科の先生を訪ねました。看護師のIちゃんも付き添いで来てくれました(涙)

行きのタクシーの中で、再び、左目の視界が白く塞がれるあの症状が!

Iちゃんに、「今、左目に症状…出て来た」と伝えると、

「はい、今から測るね」

さすが看護師、冷静に時計を見て時間を測り始めました

目を閉じて、呼吸を整えながらしばし待つ。「あ、見えて来た」 やはり、きっかり5分ほどでした。

日本への帰国を決意

先生の意見としては、好酸球増多症ということを踏まえ、他の病気の可能性を潰していくために、日本で検査をする必要があるとの事でした。

例えば、骨髄検査が必要な場合もあり、シンガポールでの検査治療は医療システムの便宜やコスト(保険)の面でも難しいからです。もちろん、言葉の問題も常にあります。

「先生だったら、どうされますか?」というIちゃんの問いに、

「私だったら当然、帰る。だって病気なんだもん。」と先生。

一刻も早い帰国の意志を後押ししてくれた言葉でした。

そして、水面下では、日本に先に帰国した友人が、知り合いの女医さんを通じて、東京のJ医院という血液内科膠原病内科のある病院にあたりを付けてくれていました。(涙)

2週間後の10月16日に、Ting先生の診察を控えていましたが、その時に日本に帰国して治療する旨を伝えようと決意しました。

やはり眼球に異常はなし

翌日10月4日、救急で診てもらったローカルの眼科の先生を再び訪ねました。Ting先生のクリニックと同じビルに入っています。

救急以上に、色々と検査をして、私の目(どアップ!)のカラー写真と診断結果などを出力してもらいましたが、やはり、眼そのものには異常なし…。

「やはり頭痛か、ステロイドの副作用によるものかもしれない

と言われました。

しかし、今にして思えば、ステロイドの副作用というよりも、ステロイドが足りなかった、ステロイドを急激に減らされた事による症状であった可能性が高いと思っています。

ちなみに、この眼の症状はその後、Ting先生を受診する前日の10月15日まで、計15回にわたって続きました。ステロイドを元の量に増やしてもらった16日以降は、症状は出ていません。もし、受診でステロイドを増やしてもらわなかったら、その後も続いていたでしょう。

PTAの役員選挙を免除してもらう

少し前の9月下旬頃、Iちゃんから、「学校のプリント見た?すぐに免除申請して!」とメールをもらいました。

PTAの役員選挙のお知らせでした。

本来なら、うちは子供一人なので、役員に選ばれる可能性が高い事になります。

申請して免除対象になるのは、フルタイム勤務、妊娠、病気の場合など。

私の場合、免除してもらうにはPTA所定の用紙に、医師に診断書、つまり病名を書いてもらうことが必要でした

まだ病名わからないよね、どうしよう?」と言うと、

「医者には、「〜疑い」って言う便利な言葉があるんだよ、大丈夫!」と言う、Iちゃんの心強いお言葉。

早速、プリントにあったPTA役員さんの連絡先にメールをして事情を伝えると、翌日、娘が「所定の用紙」を持ち帰って来ました。

そして、最初にお世話になった日系病院に電話をかけ、受付に事情を説明し(普段はあまり無いことなのか、明らかに戸惑っているようでしたが…)、担当の先生に伝えてくれるようにお願いしました。「どのようなものか見て判断するので用紙のフォーマットを送って下さい」と言われ、メールで用紙を添付して送りました。

すると翌日、先生から直接電話がかかって来て、一筆書いてくださるとの事!(感涙)

眼科を受診したのと同日10月4日、病院に行き、先生に会うと快く「好酸球増多症の疑い」と書いていただきました。本当にありがたかったです…

こうして、PTA役員に選出されてしまう事態は逃れました。

しかし、結果的には、PTAの役員決めを経験することのないまま、2週間後には娘を退学させて緊急帰国する事になるのでした。

ステロイドの副作用?視界が白く塞がれる

視界が白く塞がれる

日本人の専門医の先生を受診して少しホッとした、2日後の、夜中でした。

その晩も、ベッドで遅くまで、愛用のMacBook Airをいじっていました。家から出ないので、買い物もオンライン注文で宅配(レッドマート)を頼むようになり、パソコンを使う時間は増えていました。

出産後は眠りが浅くて、子供の寝かし付けと一緒に眠れば夜中に起き、それ以降は睡眠導入剤がないと寝付けない状態でした。

翌日は土曜日でしたが、夜中の1時を過ぎ、さすがに寝なくてはと思ってパソコンを置き、目を閉じた時…

左のまぶたの裏の真ん中に、真っ黒い、不気味な穴のようなようなものが見えました。すごく不安が広がる感じがして、死に神の顔のようにも見えました。

そして、ドット模様(斑点)や、チカチカした星のようなものが広がり、ぐるぐると回り始めたのです。

すごくイヤ〜な予感がしたというか…怖くて、目が開けられませんでした。

恐る恐る、ゆっくり目を開いてみると…見えません

 

左の目が、白い、モヤ〜ッとしたもので塞がれて、見えないのです。

動揺して、心臓の鼓動が早くなります。

全く、初めての経験でした。

白い部分は完全に視野が塞がれているのですが、端っこの方に、わずかにチラチラと視界が残っているような状態でした。初期のパソコンの、ホームページ画面を表示するときのような感じでしょうか…(分かりにくい?)

動揺を抑えながら、洗面所で目を洗ったら、まぶたの裏がギュウゥーッとなって、グレーの絵の具が広がるような感じがしました。ますます恐怖感が募って、慌てて中止。直感的に、コンタクト用の目薬で、洗ってみることにしました。

そして…数十秒後には、ぼんやりと視界が戻り始め、5分後には、完全にクリアになりました。

翌日の朝、日系病院に行き、眼底検査や視力などの検査を受けました。

念のために、とアレルギーの点眼薬を出してもらいました。

眼球そのものには異常はなさそうとのことでしたが、専門医に診てもらったほうがいいと言われ、別院にある眼科の予約を取ってもらいました。その日は土曜日だったので、週明けに改めて眼科に行くことになりました。

そして、その夜…

また、あのイヤ〜な感覚が…

恐る恐る目を開けると、再び、左目の視界が、白く塞がれていました(怖)

動揺を抑えながら、日系病院で出してもらったアレルギーの点眼薬をさしたら、また視界がギューっとグレーに…慌てて中止。

コンタクト用の目薬をさしたら、不思議と視界が戻りました。

翌日の日曜日、看護師Iちゃんにメール。彼女はとても心配してくれて、週明けの眼科を待たずに、救急に行く選択肢もあるよ、と言ってくれました。

迷いましたが、その言葉に後押しされ、夫と娘と共に、タクシーで都心の救急病院に向かいました。

日曜の夜の救急

到着した時は、夕方遅くになっていました。夫と娘には近くのレストランに行っていてもらって、私は救急へ。

日本の保険でキャッシュレスになるんだ〜前に行った他の病院ではならなかったなぁ…などと思いながら書類を記入。

待合室で座っていても、背中の筋肉が痛い…。

やっと呼ばれても、ボーッとしてると自分の名前か一瞬分からない(発音が独特なので、笑)。とりあえず問診。英語でなんとか伝える。

問診を受けて待合に戻ると、いい椅子が取られちゃってたりする。辛いですね…

いや、みんな辛いんだけど、家族総動員で付き添いに来てる人たちも多くて(涙)

さらに待つと、メガネの肝っ玉かあさんのようなキャラの看護師さんに呼ばれ、ざっくり視力検査。救急の臨時ベッドのようなところに寝るように言われ、点眼されました。「また何分かしたらくるから、その間ずっと目を押さえてるのよ」と言って去る看護師さん。

その間、別のベッドから聞こえてくる、子供の泣き叫ぶ声…。

足を折ったのかな…。

本当に痛そうで、聞いている方も辛いことこの上ない。この程度のことで救急に来てベッドまで使って申し訳ありません…という気持ちになりました。

さらに2度目の点眼が終わり、待合室で待つこと小一時間。ようやく診察室へ。

眼底検査のほか、いろいろな検査をして、眼球をよく調べてもらいました。

が、やはり眼球自体に異常はないとのこと。

緊急性はないが、網膜のガンなどである可能性を検査するので、週明けにその先生のクリニックに来るようにと言われました。

兎にも角にも、診てもらえてホッとしたのと、原因が判らない不安感とで、複雑な思いでした。

でも、この時は意外と英語が通じて、ちょっと嬉しくもあった呑気な私でした…

会計の時、先のメガネの肝っ玉かあさんが、「Can you see~~??(見えてる〜〜??)」とおどけて手を振っていました。

緊迫した雰囲気の救急の場に、長時間身を置いて過ごしながら、患者にこういう対応が出来る余裕というかタフさって、すごいよなぁ…と、心から感心しました。こういうところが、良くも悪くも、シンガポールと日本の文化の違いなんだなぁ。

ステロイドを半分に減薬した結果…

体調は横ばい、徐々に不安が広がる…

ステロイドの量を半分に減らされて、元看護師のIちゃんは、「そんなに急に減らしていいものなのか…」と心配そうでした。

1週間後、娘の小学校の運動会があり、なんとか見に行く事が出来ました。

娘のバス停までの送り迎えも、他のお母さんたちの厚意に甘えていたので、病院以外で外出したのは久しぶりでした。

色んな人に久しぶりに会って、見に来られてよかったね!と言われました。

その後も体調が、どんどん良くなっている気もしないけど、かと言って特に悪くなってもいない…。そんな日が続きました。

元看護師のIちゃんには、

ステロイドが効いていれば、もっとどんどん良くなっていいはず。ほうじ茶ラテさんが、良くなっているようには見えない…」と言われていました。

ちょうどその頃、他の日系病院に、シンガポール初・日本の血液内科専門の先生が来たと、日系雑誌などの広告が出ていたので、診てもらったら?と勧められました。

減薬して1週間後の血液検査

9月28日、行きつけの日系病院に行き、2週間ぶりに血液検査を受けました。

結果は、白血球15000ほど。

ステロイド治療を始めて1週間後(9月15日)と同じくらいの数値です。期間を考えると、やはり劇的に良くなっている訳ではない…という感じです。

先生には、早い段階で帰国して、日本の専門医に診てもらった方が良いよ、というアドバイスを再度いただきました。他の日系病院に新しく入られた、日本人の血液内科の先生の話をしたら、先生は膝をポンと打って、「それイイね!すぐに予約して行って来なよ」と後押しして下さいました。

シンガポールに新しく来た、血液内科専門の先生

Iちゃんに言われて聞くことをまとめて来たメモを片手に、診察室に入りました。にこやかな、若い女の先生でした。

どこから話していいのか…と要領を得ずに、それでも怒涛のように話し始めた私。

足のかゆみの件から始まって、長い長い、私の話を、先生は質問を交え時系列を整理しながら、じっくりと聞いて下さいました。

30分くらい聞いてもらったんじゃないでしょうか…

すでにシンガポールの専門医(血液内科)にかかっているということで、セカンドオピニオンに留め、薬の処方などは出来ないけれど、という事でしたが、専門の先生に話を全て聞いてもらう事が出来て、とても心強かったです。

病院からの検査データ資料で、まだ結果が出ていないものがあったため、また日を改めて受診することになりました。

帰り際、「シンガポールの専門医で、ウェゲナー、って言われなかった?」

と聞かれました。

「ワギナですか?」と間抜けな受け答えをする私。

「ウェゲナーです…」

聞いたことのない病名でしたが、ウェゲナー肉芽腫症(現在の病名は多発血管炎性肉芽腫症)とは、血管炎症候群だそうです。

(結果的にはウェゲナーではなかったのですが、)この時、初めて具体的な病名を聞いて、自分の中の病魔の輪郭が見えてきたような気がしました。
かもしれません。