まさかコロナ?ウィルス性と思われる心膜炎の再発で入院

ヌーカラ注射治療でステロイドを0にして、2ヶ月が過ぎた9月、CTを撮った。先生いわく「ステロイド無しでも大丈夫という太鼓判」をとろうというものだ。

そして6週間後の診察。CTの検査結果に大きな異常はありませんと言いながらも、先生の顔は少し曇っていた。

CTには、元々ある気管支炎の傷跡、小腸の手術痕。

それら以外に、去年は映っていなかったあるものが映し出されていた。甲状腺の腫瘍(しこり)だ。

大きさは1センチほどらしい。

去年までは、ステロイドの仕業か?モヤモヤしていてハッキリ見えなかったという。

しこりは石灰化していないので、おそらくは良性だろうが、甲状腺がんなどの可能性を払拭するために、念のため検査する、とのことだった。

再検査の予約はなかなか取れず、3ヶ月後、年をまたいだ2月となった。頚部エコー検査だ。

良性だろうと言われてるとは言え、結果を待つには長い時間だな…。

しかし、検査は思いがけないことで、早く実現することとなる。

謎のアゴの痛み

1週間ほどが経った、11月5日の朝。

起きると、左あごが痛い…

歯ぎしりの癖は無いと思ってたけど、実は私、相当に歯ぎしりしてたのかしら?

それとも寝てるときの姿勢がたまたま悪かっただけ?

それともまさか、セラミック被せた左の奥歯が、中で虫歯になって来ちゃってるとか。でも、歯科検診は受けたばかりだしなぁ…うーん。

その日の夜はマウスピースを付けて寝てみた。翌朝、痛みはない。やっぱり歯ぎしりかぁ…などと思っていたら、また起きている間に、痛みが増して来た。

左あご、奥歯の歯茎の辺りにかけて、ウズウズと痛く、気になってずっと手でさすってしまう。

そんな痛みが治まってはうずき、の波を繰り返しながら2〜3日続いた。

そして、それが始めの心臓の痛みのサインだったとは、その時はまだ知らなかったのである。

くしゃみ、鼻水、筋肉痛

11月8日。花粉の季節でもないのに、一日中くしゃみ、鼻水が凄い。アレルギー錠を飲んでも治まらない。これは一体何?!

翌11月9日。くしゃみ鼻水はピタッと治まった。しかし、右肩から背中にかけて肩こり、筋肉痛がつらい。不思議と、アゴの痛みは消えている。右半身の筋肉痛が辛く、脇や肋骨にまで痛みが拡がっている。

モーラステープを貼っても全く治まらないので、鎮痛剤(バファリンプレミアム)を飲む。

シムビコート(吸入剤)を吸入する時、息をスウーッと吸い込む時に、肺というか胸周りの筋肉(胸筋)が、すごく痛む。

それでもたかが筋肉痛、お付き合いは長いので、体調の波をみながら料理や洗濯、ご近所の頂き物のお裾分けに母や姉を訪ねる。などと普通の日常を、この時までは何とか過ごせていた。

夜、夕飯の支度を済ませると、食後はもう座っているのも辛い。娘が「ママ、一緒に映画を観ようよ」なんてDVD出して来ても、「ごめんね、ママちょっと途中で横になるかも…」なんて具合に、横にならずにいられなかった。

そんな調子の波を2日ほど過ごした11月11日の午後、もうすぐ娘が学校から帰ってくるというのに、昼間から横にならずにいられない。湿布を貼ってもロキソニンジェルを塗っても全く効かずに、むしろ辛くなっていく筋肉痛。解熱剤(バファリンプレミアム)を飲んだ。

熱を測る。37.9℃。しかし、解熱剤が効いて来たのか、すぐに平熱に戻る。「数日前にくしゃみ、鼻水が凄かったけど、あれアレルギーじゃなくて風邪かな?」娘にうつさないよう、それからは家の中でも常時、マスクをONだ。市販の風邪薬(ルルアタックEX)を飲んで寝た。

よく言われるコロナの症状にくしゃみ鼻水はあまり聞かないとはいえ、このご時世に発熱…かなり不安だった。また、私は免疫疾患系の血管炎(好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)の闘病中で、免疫抑制剤を飲んでいる。普通の人より感染しやすいリスクがあるかもしれないのだ。かかりつけの病院(膠原病内科)に相談すべきだろうか?

翌12日。娘を学校に送り出した後も、朝から筋肉痛で横になっていた。

が、しかしガバッと起き上がった!「やばい!今日はマンションの換気清掃で業者さんが来る日じゃん!」

うちのベランダや浴室、トイレにも業者さんが入るから、一応、掃除と片付け。作業は午後2時間ほど。キツイな。とはいえ、アドレナリンが出たのか、徐々に筋肉痛も和らいだようだった。熱を測ると、平熱に戻っている。

いつも以上に整頓した部屋に我ながら達成感を感じ、定刻通りに業者さんを迎え入れる。作業待ちの間は、玄関のドアはストッパーで開け放たれベランダの窓も開くのでやや寒いが、特に身体の辛さを感じることなく過ごせた。むしろ空気が換気されていいだろう。業者さんの指示があればベランダの椅子を片付けたり、色々動く。2時間弱で作業は終わり、ちょうど娘が学校から帰って来た。

発熱、まさかコロナ?!

業者さんが帰り、しばらくは達成感でアドレナリンが出ていたのか、換気口ビフォーアフターの写真を夫に送ったりと機嫌よく過ごす。

しかし徐々に、というか正直、ドッと疲れが出た。気が付けば筋肉痛は戻り、熱を測ると37.9℃

夜までにはさらに上がり、38.2℃になっていた。何とか夕飯の準備をするも、もう食欲はない。娘より先に横になった。テレビの音をかすかに聴きながら、時々娘に声かけをする。

翌朝は金曜日。娘を学校に送り出さねば。しかし、何かが取り憑いているかのように凝り固まった肩

熱を測ると、38.2℃。昨夜と平行線だ。

早く娘を送り出して、病院に電話しなくては。1秒1秒、じりじりと彼女の支度を待つが、いつにも増して我が娘の動きが、スローモーションのように感じる。

そして娘を送り出した後、少し迷う。もう一度熱を測る。39.2℃?!落ち着いて測り直すと38.3℃。やはり病院に電話で相談だ。いやとりあえず朝食と薬か。昨夜の鍋の残りをおじやにして少し食べ、薬を飲んで…、いや、その免疫抑制剤をそもそも今、飲んでいいのか

電話する前に、症状の時系列や病院に確認したいことを整理した。

①一昨日の午後から発熱あり、今朝も起きた時38.2℃あった。また、数日前から筋肉痛(肩、背中、胸痛)がある。

②筋肉痛が出る前に、くしゃみ鼻水の症状があったので、市販の風邪薬を飲んで自宅で様子を見ていた。どうすれば良いか?

③今の状態で、膠原病治療の免疫抑制剤(アザニン)を飲んでいいか?

大学病院の代表に電話し、膠原病内科の看護師さんに繋いでもらう。看護師さんはすぐに話の要旨を聞き取って、先生に相談して20分後にかけ直しますとの事だった。

すると、ほどなくして折り返しの連絡があり、専門の先生にお繋ぎしますとのこと。

先生は発熱や筋肉痛(胸痛)などの症状を確認すると、救急外来に来てもらった方が良さそうですねとはっきり仰った。

隔離部屋「陰圧室」に8時間

病院の外の待ち合わせポイントから先生に電話をすると、「今の服装を教えて下さい」と言われた。「ベージュのジャケットを着ています」ほどなくして警部員さんが迎えに来てくれた。

「ありがとうございます」しかし警備員さんは顔を伏せ、目を合わせない。当然会話もなく、黙々と待合室に案内された。当然なのだが、この時「自分にコロナの疑いがあること」をより深刻に、リアルに実感したのだった。

待合室で待つこと5分、10分。防護服を着た看護師さんがやって来た。奥の通路に誘導され、ある部屋の前で立ち止まり、ここでお持ちください、とドアを開けて先導してくれる。私は何にも触れることなく、小さな診察室に入った。患者の椅子、荷物置きのカゴ。先生の机とパソコン、診察台が一台。一見、普通の診察室だが、そこが「陰圧室」と言われる、感染症の疑いのある患者用の隔離部屋だった。

結局、採尿のために一度トイレに誘導された時と、レントゲン室に車椅子で連れ出された以外は、その後8時間、その隔離部屋にいることとなった。

「水」は持参するべし!

最初の採尿以外は夜までトイレに行けなかったが、全く困らなかった。それもそのはずだ。自分の水やお茶を持って来ていなかったから、喉がカラカラに渇いて、脱水症状気味だった。

採血の時も試験管6本分くらいと、それなりの量がいるようだったので経験上、水を飲んでいないからスムーズに血が採れないんじゃないかな、と思ったら案の定だった。「お水を頂けますか?」と頼んだが、その時は水をもらうことは出来なかった。

採血に時間がかかり、血が固まって、スムーズにサンプルがとれないと看護師さんも苦戦していたが、何とか検査にまわせたらしい。

お昼も食べていないので、体からどんどん水分が失われていく。家から、水道水でいいからマイボトルに入れて持参すべきだった。いつもの通院の時は持参するのに、今日は慌てていて充分な準備もなく家を出てしまった。本当に悔やまれた。

エコーや検温、血圧などの際に看護師さんに「すみません…お水を頂けますか?」と頼むとお待ち下さいとは言われるが、忙しいのだろう、なかなかすぐにはもらえない。

長い長い時間を、家族やママ友に必要な連絡を入れながら過ごす。携帯の充電器を持って来ればよかった。

ちなみに、その後夕方1回、夜1回、ナースコールを押して、紙コップに入れた水道水をもらうことができた。

CRP(炎症値)が普段の1000倍?心臓に炎症

レントゲンは、車椅子に乗せられ、警備員がドアやエレベーターのボタンを押してくれるという厳戒態勢だった。

採血やレントゲンの結果を受けて、先生がやって来た。血液検査ではCRP(炎症反応)19、高いですね。(普段は0.02以下とかなので、単純計算では1000倍の数値だ…)先生は、私の胸痛の症状と合わせて、画像を見ながら、説明された。

心臓は、特に大きな問題がなさそうに見えるけど、若干膨らんでますよね。炎症を起こして、少し水が溜まり始めているようです。心膜炎ですね。入院になると思います。

えっ4年前にもウィルス性心膜炎になったんですけど、今回と関係はありますか?

今回もウィルス性なら、関係ないでしょう。たまたま、です。膠原病由来のものなら分かりませんが…。その時は、どんな治療をしましたか?

心臓周りの水(周囲2センチ弱あった)を尿から排出するようなお薬で、3週間ほど治療しました。

その時、抗生物質とかも使いましたか?

初めは使ったと思うんですけど…すみませんはっきり覚えてないです。

PCR検査、けっこう痛い…

症状からするとコロナではないようですが、入院になりますのでPCR検査していきますね。3回、鼻から採らせて頂きます。少し痛いですよ。

4年前の心膜炎の時は、おたふく風邪のウィルスによるものだったんですけど、今回、ウィルス性心膜炎であれば、それがコロナウィルスっていう可能性もありますか?

そういう可能性もあります。まぁ、僕が知る限りではそういう症例はまだ聞いた事がないけど…。

先生は細長い綿棒のようなものを、ゆっくりと私の左鼻に差し込んでいく。かつて鼻炎持ちだったので、慣れていると思っていたが、奥の粘膜に当たるとビビッと来る。痛い。グル…グル…とゆっくり回すこと数秒間。念入りにとる。知らぬ間に涙がひとすじこぼれる。今度は右の鼻。次はまた左。

PCR検査の結果が出るのは、土日を挟んで、早くとも週明け、月曜日の午後だと言う。(この間に、もう一回だけ、鼻から検体を取る再検査があった)

かくして、入院となった。替えの下着も持たず着の身着のままで家を出て来てしまったが、まぁ何とかなる…のかな。

隔離病棟にお部屋を確保して頂き、移動した時には夜の9時をまわっていた。

時間的に、晩ご飯も無し。うう…今日は昼も夜も抜きである。

介護寝巻き(浴衣のような院内着)をレンタルすることが出来たが、歯磨きも下着もない。それに携帯の充電器(切実)。院内に売店があるが、お部屋からは一歩も出られない。看護師さんにお願い出来るか聞くと「クレジットカードお持ちですか」と言われ、快諾(;ω;)神!。速攻でお買い物リストを作成し、後でカードと一緒に渡すと、速やかに買って来てくれた。ショーツ2枚に靴下2足、歯磨きセットに拭き取りシート、それにiPhoneの充電器(命の綱)!助かります〜〜

PCR検査の結果が、週明けの月曜まで出ない以上、考えることは山ほどある。家族も自宅待機だ。誰に何を頼むのか。まず、少なくとも月曜日は娘を学校に行かせられない。ダンナ、連絡帳書けるかな…

ひと段落して看護師さんに熱を測ってもらうと、38.6℃。アドレナリンが出て元気なようでも、結構な高熱。解熱剤(カロナール)を出してもらい、就寝する。ちなみに、マットレスはエアウィーブだった!

ヌーカラ治療でステロイドゼロへの道

ステロイド、ついに1ミリに

前回の診察(バレンタイン)からの1ヶ月、花粉の季節が始まった事もあり、目のかゆみ、くしゃみ鼻水といったアレルギー症状には悩まされており、ストナ、アレグラなどの市販薬にも手を伸ばす日が続いていた。

さて、診察で「市販薬を飲んでもいいですか」と聞いたところ、「病院から出しましょう。その方が管理がいいので」と言われ、新たにビラノア錠キプレスチュアブル錠という薬が増えた。

(アレルギーを抑えるという事で、どちらも寝る前に飲むものだったが、残念ながら私には効かなかった。)

そのようなアレルギー症状がありながらも、血液検査の結果は、好酸球49→32とまたさらに下がっていたから驚きだ。先生も高揚しているように見えた。

そして、ステロイドは前回の2ミリから、1ミリに減らすというからまたビックリだった!

ヌーカラを一本打つごとに、ステロイドが1ミリ減っていく。

そんな感覚に、静かに興奮していた。そして3回目のヌーカラを打って帰宅した。

コロナウィルス、免疫抑制剤を飲んでいるので感染しやすい?

5週間後、コロナウィルスの騒ぎが起こり、外出制限の空気がある中、恐る恐る通院した4月。

私はアザニンという免疫抑制剤を飲んでいるので、普通の人よりコロナウィルスに感染しやすいのでは?という疑問があり、先生に聞いてみた。

先生の答えは、ノーだった。「理論上、免疫抑制剤を飲んでいるからコロナにかかりやすいんだ、と言うことにしたい人達もいる。しかし、実際にはそれを関連付けるデータは無い。今まで通り、免疫抑制剤を服薬した治療を続けるべき。」

また、通院を控えるため、2ヶ月分まとめて薬を出してもらうことは出来るか、その場合月に一本打っていたヌーカラ治療はどうなるのか?という疑問については、

確かに今は60日(2ヶ月分)薬を出すことは出来る。通院の間隔をあけたいが、ヌーカラ治療をしているので、2ヶ月は長い。これまでの4週から5週にし、さらに6週までと間隔をあけていくようにしよう。

次回診察が5週後、次次回が6週後となり、それ以降は6週間間隔での診察が基本となった。

ステロイド1ミリの壁

その日の血液検査の結果は、好酸球32→48と、僅かながら増えていた

ステロイドは1ミリ→1ミリで続行することとなった。

次の診察までの5週は長かった。

直前1週間には夕食後、一時的に足の痺れが強くなったり、前日深夜には、突然心臓の周りの筋肉が硬直したように痛んだ。10分間くらいで治まったが。

そして5週間ぶりの診察。好酸球は48→51と、僅かに増えてはいるものの、ほぼ横ばい。

ステロイドは1ミリ→1ミリで継続する事となった。

これがステロイド1ミリの壁なんだなぁ、と思った。

しかし先生は、「ステロイドをゼロにする事も検討している」との事だった。

ステロイドゼロの奇跡

病院から出してもらったビラノア、キプロスなどのアレルギー錠を飲んでいても、相変わらず、夜中のくしゃみ鼻水などのアレルギー症状は時々出ていた。

しかし、自分でも体力、筋力が付いてきて、日常生活が楽になったと感じていた。特に、料理。夕飯の支度がこれまで苦痛であったのが、少し手の込んだものでも積極的に作ってみたいという意欲が湧いて来たのだ。

そして、6週間ぶりの診察。アレルギー症状がひどい時には地元の耳鼻科に行っても良いですかと聞くと、いいけど、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症でヌーカラ治療中、なんて言ったら、向こうビックリしちゃうよ?と笑われた。

血液検査の結果は、好酸球51→42と4ヶ月ぶりに下がっていた

そして、ステロイド1ミリ→0ゼロへに!!

「もう0にして良いんですか?」

これは本当に驚きだった。最初のヌーカラ注射から約半年、たった5回のヌーカラ注射で、ステロイドゼロである。

ステロイドの終了に伴い、ずっとお付き合いして来た胃薬のネキシウムも終了。

さらには、ステロイドの副作用としての骨粗鬆症予防に週一回飲んでいたボナロンも中止に。(私はボナロンの副作用で知覚過敏が出ていたので、飲まなくて良くなったのは本当に嬉しかった!週一回、朝食30分前に服用っていうのもなかなかハードルが高く…汗)

翌日から、基本的に朝一錠の免疫抑制剤アザニンを飲むだけの服薬生活となった。

ずっと一生飲み続けるかもしれないと覚悟決めていたステロイドや、それに伴う諸々の薬から解放されて、にわかには信じられず、夢を見ているような思いだった。


ヌーカラ治療で好酸球が劇的に下がった!!

さて、好酸球性多発血管炎性肉芽種症の発症から、入院生活について書いている途中ですが…。2ヶ月の入院生活を思い出しながら順を追って書いているので、全く話が先に進まない という、苦い状況に陥ってしまいました。

入院中に血管炎で脆弱になっていた小腸に穴が空いて(小腸穿孔しょうちょうせんこう)大手術となったのですが、そこまでも辿り着けていない。

そうこうしているうちに、現在は2020年秋、退院して3年が経とうとしています。

これでは、私のブログに来てくれた人に、何も伝えられないままになってしまう。

このままでは、私の記憶も曖昧になり、そのとき起きたことや、感じた本当のことなど、新鮮な記事が書けなくなってしまう。

そこで、退院して約3年後の今現在から、まず書き始めて、過去に起こった事を遡って書き記していきたいと思います。(小腸に穴が空いた件については、また後日に詳細を書きます)

ヌーカラ治療で好酸球を減らし、脱ステロイドへ

先生から初めて「ヌーカラ治療」という言葉を聞いたのは、退院してから丸2年が過ぎた2019年12月の事だった。

私は当時ステロイド4ミリを毎朝飲んでいる状態で、好酸球の数値が381→301とほぼ横ばいだが僅かに下がっていた。この時先生から話があったのが、「ヌーカラ治療」だった。

「ヌーカラ、ですか?」全く初めて聞く名前だった。

喘息の治療などには使われていたが、EGPA(好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)の治療に認可が通ったのは、2〜3年前とのこと。

この注射療法によって、血液中の好酸球を劇的に減らすことが出来るという。つまり、ステロイドの服薬量を減らすことが出来るというわけだ。

この時の先生の提案は、今回からのステロイドを4ミリ→3ミリに減らして、もし好酸球が上がるようなら次回以降ヌーカラ注射を打つというものだった。

さて、ステロイドを3ミリに減らして10日ほど経ったクリスマスの頃、左耳が塞がれるような感覚を覚えた。エレベーターとか、飛行機の離着陸の際になるような「ボッ」となる、あの感じだ。音は聞こえるものの、水の中にいるようで気持ちが悪い。1時間ほど、その状態が続いた。実はこの症状、EGPAを発症する1〜2年前にも起こっていたのだ。その時は数日〜1、2週間ほども続いただろうか。

年が明け2020年1月、今度は手の甲にかゆみが出て、赤く腫れた。ステロイドの塗り薬で治まったが、調子が良くないなと感じていた。

ステロイド1ミリの壁

その月の診察。血液検査の結果は好酸球が301→525と劇的に増えていた。

やはり、ステロイドを4ミリから3ミリに減らした事で、好酸球の増加が抑えられなくなったのか…。

この時、先生はご自身もアレルギー体質で倍近く出る事もあるよ、と言いつつも、好酸球が500を超えたという事で、3つの選択肢を提案して来た。

①ステロイドを4ミリに戻す

②ステロイド3ミリ続行で様子見

③ヌーカラ注射を一本打って、好酸球をいったん減らし、ステロイド3ミリ続行

私の選択は、迷わず③だった。

そして、30分後には、第一回目のヌーカラ注射を打ってもらう事となった。

ヌーカラを100ミリ、1本、左二の腕から注入。

本来は別の部位からも含めて計3本打つそうだが、私の場合は比較的寛解状態にあったためか、先生的には3本は打ちたくないとの事だった。

注射針の痛みをチクっと感じた後、100ミリのヌーカラがゆっくりと注入されていく。

「耐えられそうですか?」看護師さんが心配そうに聞かれた。「人によって、痛みの感じ方が違うので…」確かに、接種時間が長い。採血くらいの長さ(数十秒)はあっただろうか。ただ大量の薬液が押し込まれる時の感覚はあったが、私にはインフルエンザ予防接種ほどの痛みにも感じられなかった。看護師さん自身は、ヌーカラ注射を受けた経験はないだろうから、分からないのも当然だ。

こうして比較的あっさりとヌーカラ注射を初体験し、ステロイドは3ミリ続行のまま次の1ヶ月を過ごした。

たった一回のヌーカラ注射で…

さて、次の診察は2020年のバレンタインだった。

この1ヶ月は日光に当たると手のひらや手の甲に赤い発疹が出るなど、ちょっとした過敏症状、後半は疲れやすさや息苦しさを感じる事もあった。また、引き続きの便秘気味で、全くのうさぎのフンであったから、一度やめていた酸化マグネシウムをまたもらおうと思っていた。

診察室に入ると、先生がいつになく機嫌良く、声も明るい。血液検査の結果は、好酸球が525→49と、劇的に下がっていた!

それに伴い、ステロイドの量もさらに下げるという。

「ええっ、さらに1ミリ、もうこの段階で下げるんですか?」さすがに驚いた。

すると先生は、「好酸球が下がっているのに、ステロイドを余分に飲んでもしょうがない、3ミリ→2ミリにしよう」と弾んだ声で言った。

ヌーカラ注射をたった一本打っただけで、増えそうだったステロイドの量が、こんなに短期間に減らせるとは。新しい治療法に戸惑いつつも、静かな興奮を覚えていた。

そして、診察の後、2回目のヌーカラ注射を注入した。

ここから脱ステロイドへのヌーカラ快進撃が始まるのであった。