ナウシカの「王蟲」!!

腫れは、左足の甲だけにとどまらず、見る見るうちに足首周りまで広がり、さらには右足も同様に広がって、両足が象の足のようになりました。

腫れた肉が覆いかぶさり、ルーズソックスをはいたような状態という方が近いかもしれません。そして、足首の関節にできた水泡が埋まり込み、歩くたびに押しつぶされます。

オレンジ色の水風船のような水疱が並び、それに覆いかぶさるように段々になった腫れた足首周り…

まさに、映画「風の谷のナウシカ」の「王蟲(おうむ)」!!それも怒りバージョン…

病院に行くと、先生も、ローカルの看護師さんたちも、「何だこれは…」という感じで、ドン引きしてガン見しています。

その時は蜂窩織炎(ほうかしきえん)だろうということだったのですが、すぐに日本に一時帰国するということもあり、応急処置として点滴を受けました。そのあと診察台に行き、大きな水泡は針で潰してもらいました。

一人の看護師さんに「一体何に刺されたの?」と聞かれました。

そして、夫に手伝ってもらい、足を包帯でぐるぐる巻きにして、空港に向かいました。

機内では、時々襲われる、震えがくるほどに耐え難いかゆみとの戦いになりました。

そして一回だけ、包帯の上から掻きむしってしまいました…。

それは、日常ではまず味わえないような物凄い快感でした(汗)

水泡は、意外にも丈夫で破れない類のものでしたが、その時は流石に破れて、汁が滲み出て来てしまいました。

さらにしばらくすると、足の膝下のあたりに、堪え難いかゆみを感じて、もう一回だけ、掻いてしまいました…

するとどうでしょう。見る見るうちに、足首の腫れが、ひざ下まで広がって来たのです!!そして、掻いた部分にも大きな水疱ができてしまいました。

とりあえず、病院でもらった効かない塗り薬を塗り、掻けない代わりにグリグリと塗る、という感じで耐えしのぎました。続きます…

 

 

原因不明のかゆみ

左足の甲が痒くなってきたのは去年の6月くらいからでした。

病院に行っても原因が分からず、塗り薬を処方してもらっても、ほとんど効果がありません。

そうこうしているうちに1ヶ月ほどが過ぎていました。

しまいには、むくみを抑えるために、ひざから下を包帯でぐるぐる巻きにされ、足指の間は白くふやけてしまいました。

ローカルの皮膚科を紹介されて受診すると、白くふやけた指の間ばかりに注目され「wrong medication…」と言われ、なんと水虫薬を出されました。

いや…むれてるけど違うよ…水虫なったことあるから分かるよ。笑

皮膚科の帰り、ついでだからと一駅先の2ドルショップまで寄ったのが判断ミスでした。

ああああ…!!!身体が震えるほどの、耐え難いかゆみが足の甲に襲ってきました。

その場で靴をはぎ取って掻きむしりたいほどです。先生に「掻いてはいけませんよ」と言われていたのは重々承知でしたが、すぐさまトイレに駆け込み、洗っていない手でかきむしってしまいました…。

その頃から腫れは日に日に酷くなり、それに伴い、体の倦怠感もひどくなって来ました。

とにかく疲れやすく、だるいのです。

そしていよいよ腫れが顕著になり、足はパンパンに張って来ました。

ついに、水泡が出て来ました。直径1センチほどの水風船のような、大きな水泡です。

掻くと、水泡が潰れてしまいますから、掻くこともできません。

そうこうしているうちに、日本に一時帰国するフライトの日が翌日に迫って来ました。

続きます…。

シンガポールへ

当時、娘は3歳。入園予定の幼稚園をキャンセルしての移住でした。

移住を決めてから出国までの2週間、何をどうして良いのかわからずに、子育て仲間との送別や、日々の子育てに追われていた結果…

最後の2日間は、娘を臨時託児所に放り込み、荷造りと片付けに追われ、夜はビジネスホテルに泊り込み、徹夜で洗濯と伝票書き。食事も睡眠もまともにとれないほどの修羅場になりました(汗)

そして、出国する日の朝。引き払うはずのマンションの部屋はまるで片付かず、船便と航空便のダンボールが雑多に混じり合いゴッチャゴチャ。まさにカオス。追い詰められた私は、生まれて初めて「片付け屋」さんに電話。

鍵を受け取りに来た大家さんに諭されている最中、ゆうパックのお兄さんと片付け屋さんご一行が到着。あれよあれよという間に、ガタイの良いお兄さん方が、一切合切を持って行ってくれて、ガランとした部屋が残りました。

しかし、喜んだのもつかの間。ポツンと残ったケーブルテレビのモデムをどうして良いかわからない!!とりあえず引き抜いて、バッグに放り込み、そのまま空港へ。

着の身着のまま娘を連れて、乗り込んだ空港行きの列車。何日もまともに寝ていなかった私は、4人掛けの席に座ると、娘と共に眠り込んでしまいました。

気がつくと、押さえていたはずのスーツケースがありません。

見ると、タイヤが転がって通路をさすらっている私のスーツケースが…そこそこ混んでいた車内、大迷惑です。

不意に、4人掛けの向かいに座っていたおじさんが立ち上がると、人越しにスーツケースを持ち上げて、自分の足の間に挟み込んで押さえてくれました。

恐縮してお礼を言うと、いやいや、と、本当に慈悲深い瞳で気の毒そうに微笑んでくださいました。

よほど可哀想な母子に見えたのでしょう。人の優しさが痛み入りました…

降りるときにも手伝ってくださり、優しい笑顔をいただきました。

それが、私のその時に見た、大阪の最後の印象です。この大阪を、日本を、離れるのは辛いな…と思いました。本当にありがとうございます。

そして夜中の関西国際空港。どうやって搭乗できたのか、記憶が曖昧です。シンガポール航空のCAさんの目の覚めるような美しさと、チャンギ空港に降り立った時の、ムワ〜ッとした空気は忘れられません。