シムビコート吸入の、思わぬ効果と副作用

今は欠かせないシムビコート吸入器だが、お付き合いは、まだ10年にもなっていない。

大阪に住んでいた2010年代は、飛来した黄砂の影響などで、副鼻腔炎になりがちだった私。
2014年以降、シンガポールに行ってからは、近隣の焼畑による大気汚染「ヘイズ」の影響か、症状が悪化。
だが子育て中はなかなか自分にかまえず、現地でクラリチンなどの市販薬を買って乗り切っていた気がする。

さらに日本への一時帰国時にインフルエンザにかかって、急激に悪化。ついに気管支喘息と診断された。

検査の時に、「ハイ、息を吐いてぇ〜」と言われても、それが出来ない。息を吐こうと思っても、
ケヘーーッ!…ケヘッケヘッケヘッ…

日系病院のマツオ先生の、「これは…苦しかったでしょう」という言葉に、心の中で

(そう、そう、そうなんです!!!)と叫ぶ。わかってもらえた事がありがたくて、本当に涙が出た。

この頃から、私とシムビコートのお付き合いが始まった。

ケヘーーッ!…ケヘッケヘッケヘッ…
と、いう咳を、何度繰り返したことだろう…
夜中は家族を起こすといけないとベッドから抜け出し、咳を押し殺した。

吸入すると、ひどい咳き込みは治まった。

シムビコート吸入に加えて丁寧な投薬のおかげで、気管支喘息自体は治癒していったと思われた。

しかし、しつこい副鼻腔炎はその後も長く続いていた。かさばる鼻洗浄キットを洗面所に置き、首を傾けて、鼻から口へと水をひたすらに流す日々をどれだけ過ごしただろう。

血液の病気は水面下で進行していた。

おそらくその前年の2015年ごろ耐え難い足の痒みが出たり、今にして思えば血管炎の前兆となる症状が出ていた。しかし、すぐに治まったので、やり過ごしていた。

そして2017年に足の痒みが再発、ボコボコに腫れ上がる。それが引くと次に異常な倦怠感と筋肉痛で、普通に歩けなくなる。現地(シンガポール)でステロイド治療を受けるも、減薬で悪化して日本へ帰国。血管炎で入院。

その時は喘息の症状はなかったが、お医者様の判断でシムビコートの吸入を再開し、7年続けている。

入院中の朝晩のシムビコート吸入は、正直いうと、めんどくさかった。
というのも、その時にはもう喘息症状は一切なく、咳は出ていなかったし、吸入後にはうがいや口すすぎをしっかりしないとならないからである。薬剤が口の中に付着したままになっていると、カビのようなものが(口腔カンジダ症、カンジダ食道炎)発生する原因になるらしい。

当時私の内服薬は多く、ステロイド治療も受けていたので、先生たちの間でも、退院する頃、「シムビコートはやめても差し障りないのではないか?」ということになり、数日間使用を中止したことがある。
が、耳鼻咽喉科の所見で、完全に止めてしまうとやはり若干、呼吸(息苦しさ)に影響が見られる、と判断され、使用を再開。
以後7年、朝晩の吸入を習慣的に続けている。

シムビコートの重要性は、退院して段階的なステロイド減薬時期に、ひしひしと感じた。
ステロイドを減らし始めるとまず、息苦しい。
退院時一日35ミリ〜徐々にステロイドの内服を減らしていくのだが、その段階でものすごく息苦しくなるのだ。それで、その息苦しさから逃れるために、シムビコートに手が伸びる。
2年ほどはかかったか。
内服5ミリ、4ミリと減らし、3ミリでヌーカラ注射をプラスで打つ。さらにステロイドを1ミリずつ減らしてゼロにし、ヌーカラに完全移行する。落ち着いた頃、体力や筋力が戻ってきて、日常生活では息が上がらないのを感じた。それまで、私にとってシムビコートは欠かせないものだった。

息苦しさがなくなると、「足りない」とまで思っていた月2本のシムビコートが余り始める。
そう、苦しくないから、つい朝晩の吸入をサボり始めたのだ。
そのうち、先生にも余り始めた旨を伝えると、1本にしてくれたりと調整してくれた。

しかし、吸入をサボった時期の検査では、心なしか好酸球の数値が微増するようだ。
せいぜい数十ミリの範囲内ではあるが、数値が上がるのだ。
規則的な吸入を心掛けると、やはり好酸球の数値は減るようである。
シムビコートに含まれているステロイドの思いがけない効果だった。

余談だが、退院して4年が過ぎた頃、胃カメラ検査を受けたところ、カンジダ食道炎の所見があった。
ところどころ白くなってるらしい。真っ白ではないらしいが。
やはり長年のシムビコート吸入が原因かな〜と思い、
「今回のカンジダ食道炎はシムビコートの吸入と関連がありますか?」と聞いてみた。
先生は、「あるけど」と言い、「そんなに深刻ではないよ」とのことだった。
「その場合も、シムビコートは続けた方がいいですか?」
「続けた方がいいです。使わないと、気管支が厚くなるから」
気管支が厚くなる、つまり、気道が狭くなるということらしい。それは困る。
シムビコートとは、長い付き合いになりそうだから、お口のカンジダにならないために、マウスウォッシュや歯科検診は必須そうだ。
また、せめてもという思いから、舌クリーナーを習慣づけたのだが、それは視覚的な面白さ(白い舌苔が取れる)こともあった…

日本到着。膠原病内科を受診

日本人のサービスのプロ意識に衝撃

羽田空港に到着して、今度は可愛らしく綺麗なJALのお姉さん(CAさんですかね)に車椅子を押してもらいました。細くて華奢な体で、たった一人で車椅子と、荷物を乗せたカートの両方を、同時に顔で押し始めたのにはビックリ!(チャンギ空港でおばちゃんに車椅子を押してもらった時は、荷物はすでに預けた後でしたからね…。)素早く無駄がない集中した動き、かつ落ち着いた丁寧な対応で、このプロ意識、というんでしょうかね、この根性を感じるサービス精神、ああ、ここは日本なんだな〜…と感じた瞬間でした。空港の出口に着くと、素早く走って行って、重そうな扉を笑顔で開けるJALのお姉さん。リムジンバス乗り場まで案内していただき、車椅子を降りました。

リムジンの中では爆睡です。わたしも娘も。

憔悴していた家族

リムジンを降りた駅で、母と姉と待ち合わせをしていました。普段ならヘルプなしでも帰れるのですが、流石に今回は体力に自信がなかったのです。

心配性の母としっかり者の姉、すでに来ているかな?と思ったのですが、珍しく、待つこととなりました。

しばらくして、慌ててやって来た母と姉。憔悴して見えました。わざわざ来てもらって申し訳なかったな…と後悔。実家まで電車でも2駅でしたが荷物があるので、皆でタクシーで帰ることにしました。

タクシーの中で話をしていると、「シンガポールからご帰国されたんですか?」と運転手さん。「…ええ」と、なぜか一瞬固まる家族をよそに、「そうなんです、わたしが病気になっちゃいまして、日本で受診した方がいいって言われまして。娘も向こうの学校を退学して、緊急帰国です」ペラペラと喋るわたし。「そうですか…」と、これまた固まり、それ以上何も聞かない運転手さん。

病気のこととかって、あんまり喋っちゃいけないのかしら?悪いことしたわけじゃないのにねぇ。まぁ、聞かされる方からしたら、思いっきりプライバシーだし気まずいのかな?

シンガポールの運ちゃんだったら、それでそれで?と矢継ぎ早にあれこれ聞いたり、余計な?アドバイスしたりしそうなので、これも文化の違いなんだな〜〜と。

わたしからしたら、別に恥でもないし、減るもんでもない、こんなことがあったんだよって、むしろ皆んなに知ってもらいたいくらいなんだけど…。現にブログで闘病記書いてるし。笑

しかし重要なことは、そうやって当人のわたしが呑気にしている間も、家族を想像する以上に重い空気にさせていたのだなぁと思います。

実家に着き、皆でお昼を食べました。久しぶりの日本で嬉しくて、病気のことも忘れてパクパク食べるわたし。アドレナリンが出ているのか妙に元気で、食欲も旺盛です。ふとみると、姉は食が進んでいない様子。胡麻豆腐を小さく箸で切って、それもなかなか喉を通らないでいるようです。あとから聞くと、姉は姉でこの頃、別件でも悩みを抱えていたようですが。

わたしより、家族の方が憔悴している…。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

血液内科を受診

翌日の10月26日、紹介を受けた某大学病院の血液内科を受診しました。

血液検査やCTの検査を経て、わたしのこれまでの経緯から、膠原病内科を受診するよう、紹介状を書いていただきました。ちなみに、CT検査では、腸にガスや、コロコロとした石のような便がたくさん詰まっていて、お通じはそれなりにあると思っていたので、ビックリでした。

これも、今にして思えば、2週間後に起こる小腸穿孔と無縁ではないのかなぁと思います。

膠原病内科を受診、そして…

その日の午後、膠原病内科を受診しました。先生は、わたしの長い長い経緯を聞くと、やはり、シンガポールでステロイドを1週間で40→20ミリに減薬されたことについて、「ステロイドを減量するタイミングが早かったと思いますね」と言われました。そして、穏やかに、「入院になりますね。」と言われました。

「どれくらいの期間の入院になりますでしょうか?」「1ヶ月くらいかな」

ええ、1ヶ月!!

娘を実家に預けているんですが、どうしよう…。小学校の転入手続きも、まだこれからで…。動揺して、いろいろ口走ったと思いますが、入院しなければならないという事実は揺るぎませんでした。

ベッドが空き次第の入院ということで、とりあえず入院予約をしましたが、まだ家族に伝えていません。病室を出てから、「入院することになりそう」シンガポールの夫とメールでやりとりをします。

しかし、このやり取りが、家にいる娘のiPadに表示されてしまったのです。

「おばあちゃん、なんて書いてあるの?」と娘が母に聞き…

そんな訳で、伝えるより先に、入院のことが母にバレて、余計に動揺させることになってしまいました。母にとってはわたしが通院することはあっても、入院、それも1ヶ月もの長期入院をするとは思っていなかったようで、今もこの時のことを、まさに青天の霹靂(へきれき)!!と言っています。

空港での車椅子リクエストと、初のプレミアムエコノミー

緊急に娘の学校の退学手続きをし、帰国便の飛行機を取りました。先生にも事務の方にも、急なことでご迷惑をかけてしまいましたが、通常の退学手続きよりも早めて頂くことが出来て、本当に助かりました。とにかく、ほとんど着の身着のまま、という状態でした。

空港での移動に、車椅子をリクエストする

さて、主人が仕事を休めない中、一人で小1の娘(まだ手がかかりました…)を連れて帰国しなければいけません。しかも、相変わらずふくらはぎの筋肉が痛んで、5分以上は続けて歩けない状態でした。広い空港内の移動にも不安があります。とはいえ、まぁチャンギ空港〜羽田間は慣れているし、なんとかなるかなぁ、なんて呑気に構えてる私に、元看護師のIちゃんが「航空会社のサポートデスクに電話して、車椅子手配してもらってね。機内で何かあってもおかしくないんだから、サポートしてもらえることは全部頼んで、万全にしたほうがいいよっ」と後押ししてくれました。

初めてJALのサポートデスクに電話し、車椅子のリクエストを試みる私。「病気で歩行難があるのですが、車椅子を一台お願いできますか?」すると、搭乗できるか医師の診断書が必要な場合もありますが、どのようなご病気でしょうか、とのこと。感染症など、搭乗できないケースもあるということでしょうね。「好酸球増多症です」「コウサンキュウ…」電話口で、病名を聞き取るのも大変そう…。そして、調べてもらった結果、この病気の場合は搭乗可能とのことでした。一応、病院からの書類を持って行くことにしました。

人生初のプレミアムエコノミー

さらに、食事の時に噛むと顎が痛くなってくるのと、食後に起こる胃痛(右のみぞおち付近に、鈍痛が長く続いていました)があり、機内で普通に食事ができるのか不安があったので、機内食にはホームページに載っていた「消化の良い食事」を注文。そして、まぁ夜間便でしたが、少しでもゆっくり眠って体力をセーブしたいということで、生まれて初めて、プレミアムエコノミーに搭乗しました。

お見送りに主人も涙

後に残された主人が困らないように、なるべく家の中をシンプルに整理し、不用品などは少しずつ処分して過ごしていましたが、当時の私の体力では焼け石に水と言った感じで、思っていたことの半分もできませんでした。

娘が日本についてすぐ学校に通えるように、教科書と学用品をスーツケースに詰め込んで、着の身着のまま、バタバタと空港に向かう準備をしました。荷物も、たくさんは持てないので、スーツケースはたった一つでした。

主人が早めに仕事を切り上げて、空港に付き添いで来てくれることになったので、娘は大喜び。出発時間は予定を大幅に過ぎて、タクシーを呼ぶのが夜7時前になっていました。

お世話になったママ友たちにも、出発時間はあえて知らせないでいました。

タクシーを地下の駐車場に待たせて、主人と娘だけ先に荷物を持って出てもらって、玄関先にかがみこんでガサガサしていると、半開きのドアの向こうに、Iちゃんの姿が…!「最後に会えて良かった!」と言い合いました。ありがとう。お礼の言葉も見つからないわ。と言うと、カラダで返してもらうからね!と言われました。

ふくらはぎの筋肉痛のことも忘れて、慌てて駐車場に降りて行くと、待たせていたタクシーの脇に並んでいたのは、お世話になったママ友二人と、娘のお友達たち…。嬉しいやら申し訳ないやらで、なんと言ったらいいのか、ありがとう、ごめんねと繰り返すばかりで、気の利いた言葉が何も出てきませんでした。娘は大喜びではしゃいでいます。発車後も、バイバーイ!と振り返って手を振っていました。主人の目にもうっすらと涙が浮かんでいるようでした。

人生初の車椅子体験

チャンギ空港に着いて、JALのカウンターへ。チェックインを済ませた後、車椅子に乗って待つことしばし…。シンガポーリアンと思われるおばちゃんがやって来て、IDの提示を求められました。IDを見せると、そのままガラガラと車椅子を押して行き、出国ゲートで主人と別れることとなりました。車椅子の横に、ピッタリ着いてくる娘。

車椅子を押しながらゲホゲホゲホッと咳をするおばちゃん…。マスクもしてないので、容赦なく降りかかって来ます。それも、何度も。海外だと、咳が出るからと言ってあまりマスクする人いないんですよね。ステロイド治療中は、感染症になりやすいので、ぜひこのようなお仕事で咳の出るような方はマスクして欲しいと思います。

色々な手続きを通過して、落ち着いた場所に車椅子が止まりました。「Thank you!」と、笑顔で振り返ると…おばちゃんいない。え?え?え?

どうすればいいの??

キョロキョロすると、どうやらラウンジみたい。ママ〜〜…どうすればいいの?と娘。いや、ママも分かんないから。

でも、プレミアムエコノミーなんだから、ラウンジ使えるんだよね。使ったことないから、まごまごしちゃうけど。

見ると、パンやらサンドイッチ、プチケーキ、様々なお惣菜が、ブッフェみたいに並んでいます。勝手に食べて、いいんだよね。お金払えって言われたら、後で払えばいいんだもんね。

「ママ食べ物取ってくるから、ここに居てね!」見えやすい席に娘を座らせて、車椅子から立ち上がり、筋肉痛の足をふりしぼって、食べ物を取りに行きました。色々食べたいけど、機内食も出るし、わたしも娘も、食べられるものって限られていたので、小さなパンとプチケーキくらいにしました。わたしはお水で、娘はりんごジュース。

夕飯の時間を過ぎていたので、とにかく何かお腹に入れて、薬を早く飲まなければ!と言う思いでした。

がっかりでも正解?機内食「消化の良いお食事」

そろそろ搭乗口に移動しなければ…でも車椅子だし、という頃合いに、再びおばちゃん登場。良かった。でも、何か言ってよ〜〜…

そのまま搭乗口を通過、飛行機に乗り込むまで車椅子を押してもらいました。その後は、何とか歩いて座席へ移動。

搭乗して間もなく、機内食になりました。特別ミール「消化の良いお食事」ってどんなかな?

フタを開けると、彩りも美味しそう。おかずもヘルシー。でも、白いのがご飯ではなく、これは…はんぺんかな??パクッと一口。うーーん…。

確かに消化に良さそうだけど…。食べた気がしないなぁ。おかずは美味しいんだけど、普通の機内食でよかったかも…。

その時の感想は、ちょっとがっかり。

でも!!この後わたしの身に起こることを思えば、それくらい気をつけていて大正解だったのです。実際、この食事の後には胃痛(右のみぞおち付近の鈍痛)も一切起こらずに、体調も良く過ごすことが出来ました。

後述しますが、わたしはこの2週間後に、小腸に穴が空いてしまいます。

入院中に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という難病の一種であると診断されました。胃の内視鏡検査や大腸検査など様々な検査と並行して、ステロイド内服治療を続けますが、血管炎で身体中のあちこちが脆弱に、もろくなっていたのでしょうか。小腸に穴が空き(小腸穿孔)、切除手術をすることとなるのです。