ヌーカラ治療でステロイドゼロへの道

ステロイド、ついに1ミリに

前回の診察(バレンタイン)からの1ヶ月、花粉の季節が始まった事もあり、目のかゆみ、くしゃみ鼻水といったアレルギー症状には悩まされており、ストナ、アレグラなどの市販薬にも手を伸ばす日が続いていた。

さて、診察で「市販薬を飲んでもいいですか」と聞いたところ、「病院から出しましょう。その方が管理がいいので」と言われ、新たにビラノア錠キプレスチュアブル錠という薬が増えた。

(アレルギーを抑えるという事で、どちらも寝る前に飲むものだったが、残念ながら私には効かなかった。)

そのようなアレルギー症状がありながらも、血液検査の結果は、好酸球49→32とまたさらに下がっていたから驚きだ。先生も高揚しているように見えた。

そして、ステロイドは前回の2ミリから、1ミリに減らすというからまたビックリだった!

ヌーカラを一本打つごとに、ステロイドが1ミリ減っていく。

そんな感覚に、静かに興奮していた。そして3回目のヌーカラを打って帰宅した。

コロナウィルス、免疫抑制剤を飲んでいるので感染しやすい?

5週間後、コロナウィルスの騒ぎが起こり、外出制限の空気がある中、恐る恐る通院した4月。

私はアザニンという免疫抑制剤を飲んでいるので、普通の人よりコロナウィルスに感染しやすいのでは?という疑問があり、先生に聞いてみた。

先生の答えは、ノーだった。「理論上、免疫抑制剤を飲んでいるからコロナにかかりやすいんだ、と言うことにしたい人達もいる。しかし、実際にはそれを関連付けるデータは無い。今まで通り、免疫抑制剤を服薬した治療を続けるべき。」

また、通院を控えるため、2ヶ月分まとめて薬を出してもらうことは出来るか、その場合月に一本打っていたヌーカラ治療はどうなるのか?という疑問については、

確かに今は60日(2ヶ月分)薬を出すことは出来る。通院の間隔をあけたいが、ヌーカラ治療をしているので、2ヶ月は長い。これまでの4週から5週にし、さらに6週までと間隔をあけていくようにしよう。

次回診察が5週後、次次回が6週後となり、それ以降は6週間間隔での診察が基本となった。

ステロイド1ミリの壁

その日の血液検査の結果は、好酸球32→48と、僅かながら増えていた

ステロイドは1ミリ→1ミリで続行することとなった。

次の診察までの5週は長かった。

直前1週間には夕食後、一時的に足の痺れが強くなったり、前日深夜には、突然心臓の周りの筋肉が硬直したように痛んだ。10分間くらいで治まったが。

そして5週間ぶりの診察。好酸球は48→51と、僅かに増えてはいるものの、ほぼ横ばい。

ステロイドは1ミリ→1ミリで継続する事となった。

これがステロイド1ミリの壁なんだなぁ、と思った。

しかし先生は、「ステロイドをゼロにする事も検討している」との事だった。

ステロイドゼロの奇跡

病院から出してもらったビラノア、キプロスなどのアレルギー錠を飲んでいても、相変わらず、夜中のくしゃみ鼻水などのアレルギー症状は時々出ていた。

しかし、自分でも体力、筋力が付いてきて、日常生活が楽になったと感じていた。特に、料理。夕飯の支度がこれまで苦痛であったのが、少し手の込んだものでも積極的に作ってみたいという意欲が湧いて来たのだ。

そして、6週間ぶりの診察。アレルギー症状がひどい時には地元の耳鼻科に行っても良いですかと聞くと、いいけど、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症でヌーカラ治療中、なんて言ったら、向こうビックリしちゃうよ?と笑われた。

血液検査の結果は、好酸球51→42と4ヶ月ぶりに下がっていた

そして、ステロイド1ミリ→0ゼロへに!!

「もう0にして良いんですか?」

これは本当に驚きだった。最初のヌーカラ注射から約半年、たった5回のヌーカラ注射で、ステロイドゼロである。

ステロイドの終了に伴い、ずっとお付き合いして来た胃薬のネキシウムも終了。

さらには、ステロイドの副作用としての骨粗鬆症予防に週一回飲んでいたボナロンも中止に。(私はボナロンの副作用で知覚過敏が出ていたので、飲まなくて良くなったのは本当に嬉しかった!週一回、朝食30分前に服用っていうのもなかなかハードルが高く…汗)

翌日から、基本的に朝一錠の免疫抑制剤アザニンを飲むだけの服薬生活となった。

ずっと一生飲み続けるかもしれないと覚悟決めていたステロイドや、それに伴う諸々の薬から解放されて、にわかには信じられず、夢を見ているような思いだった。


ヌーカラ治療で好酸球が劇的に下がった!!

さて、好酸球性多発血管炎性肉芽種症の発症から、入院生活について書いている途中ですが…。2ヶ月の入院生活を思い出しながら順を追って書いているので、全く話が先に進まない という、苦い状況に陥ってしまいました。

入院中に血管炎で脆弱になっていた小腸に穴が空いて(小腸穿孔しょうちょうせんこう)大手術となったのですが、そこまでも辿り着けていない。

そうこうしているうちに、現在は2020年秋、退院して3年が経とうとしています。

これでは、私のブログに来てくれた人に、何も伝えられないままになってしまう。

このままでは、私の記憶も曖昧になり、そのとき起きたことや、感じた本当のことなど、新鮮な記事が書けなくなってしまう。

そこで、退院して約3年後の今現在から、まず書き始めて、過去に起こった事を遡って書き記していきたいと思います。(小腸に穴が空いた件については、また後日に詳細を書きます)

ヌーカラ治療で好酸球を減らし、脱ステロイドへ

先生から初めて「ヌーカラ治療」という言葉を聞いたのは、退院してから丸2年が過ぎた2019年12月の事だった。

私は当時ステロイド4ミリを毎朝飲んでいる状態で、好酸球の数値が381→301とほぼ横ばいだが僅かに下がっていた。この時先生から話があったのが、「ヌーカラ治療」だった。

「ヌーカラ、ですか?」全く初めて聞く名前だった。

喘息の治療などには使われていたが、EGPA(好酸球性多発血管炎性肉芽腫症)の治療に認可が通ったのは、2〜3年前とのこと。

この注射療法によって、血液中の好酸球を劇的に減らすことが出来るという。つまり、ステロイドの服薬量を減らすことが出来るというわけだ。

この時の先生の提案は、今回からのステロイドを4ミリ→3ミリに減らして、もし好酸球が上がるようなら次回以降ヌーカラ注射を打つというものだった。

さて、ステロイドを3ミリに減らして10日ほど経ったクリスマスの頃、左耳が塞がれるような感覚を覚えた。エレベーターとか、飛行機の離着陸の際になるような「ボッ」となる、あの感じだ。音は聞こえるものの、水の中にいるようで気持ちが悪い。1時間ほど、その状態が続いた。実はこの症状、EGPAを発症する1〜2年前にも起こっていたのだ。その時は数日〜1、2週間ほども続いただろうか。

年が明け2020年1月、今度は手の甲にかゆみが出て、赤く腫れた。ステロイドの塗り薬で治まったが、調子が良くないなと感じていた。

ステロイド1ミリの壁

その月の診察。血液検査の結果は好酸球が301→525と劇的に増えていた。

やはり、ステロイドを4ミリから3ミリに減らした事で、好酸球の増加が抑えられなくなったのか…。

この時、先生はご自身もアレルギー体質で倍近く出る事もあるよ、と言いつつも、好酸球が500を超えたという事で、3つの選択肢を提案して来た。

①ステロイドを4ミリに戻す

②ステロイド3ミリ続行で様子見

③ヌーカラ注射を一本打って、好酸球をいったん減らし、ステロイド3ミリ続行

私の選択は、迷わず③だった。

そして、30分後には、第一回目のヌーカラ注射を打ってもらう事となった。

ヌーカラを100ミリ、1本、左二の腕から注入。

本来は別の部位からも含めて計3本打つそうだが、私の場合は比較的寛解状態にあったためか、先生的には3本は打ちたくないとの事だった。

注射針の痛みをチクっと感じた後、100ミリのヌーカラがゆっくりと注入されていく。

「耐えられそうですか?」看護師さんが心配そうに聞かれた。「人によって、痛みの感じ方が違うので…」確かに、接種時間が長い。採血くらいの長さ(数十秒)はあっただろうか。ただ大量の薬液が押し込まれる時の感覚はあったが、私にはインフルエンザ予防接種ほどの痛みにも感じられなかった。看護師さん自身は、ヌーカラ注射を受けた経験はないだろうから、分からないのも当然だ。

こうして比較的あっさりとヌーカラ注射を初体験し、ステロイドは3ミリ続行のまま次の1ヶ月を過ごした。

たった一回のヌーカラ注射で…

さて、次の診察は2020年のバレンタインだった。

この1ヶ月は日光に当たると手のひらや手の甲に赤い発疹が出るなど、ちょっとした過敏症状、後半は疲れやすさや息苦しさを感じる事もあった。また、引き続きの便秘気味で、全くのうさぎのフンであったから、一度やめていた酸化マグネシウムをまたもらおうと思っていた。

診察室に入ると、先生がいつになく機嫌良く、声も明るい。血液検査の結果は、好酸球が525→49と、劇的に下がっていた!

それに伴い、ステロイドの量もさらに下げるという。

「ええっ、さらに1ミリ、もうこの段階で下げるんですか?」さすがに驚いた。

すると先生は、「好酸球が下がっているのに、ステロイドを余分に飲んでもしょうがない、3ミリ→2ミリにしよう」と弾んだ声で言った。

ヌーカラ注射をたった一本打っただけで、増えそうだったステロイドの量が、こんなに短期間に減らせるとは。新しい治療法に戸惑いつつも、静かな興奮を覚えていた。

そして、診察の後、2回目のヌーカラ注射を注入した。

ここから脱ステロイドへのヌーカラ快進撃が始まるのであった。