激しい胃痛と、吐き気との闘い

入院二日目にして、天国から地獄へ

病棟に戻ると、胃痛がまた激しくなり、ベッドにうつ伏せになったまま、トイレとの往復でした。

そこへ、先ほどの頭痛薬を持ってきた看護師さんが、ノックして入ってきました。

「ほうじ茶ラテさん、担当医と連絡が取れて、お預かりしている胃薬を飲んでいいという事でしたので、お持ちしました!」

と、預けていた胃薬のストロカインと、白い粉薬のアルサルミンを持ってきてくれました。アルサルミンは、胃粘膜を保護するお薬です。

うーーん。今、このタイミングで胃粘膜を保護しても、多分吐いちゃうよなぁ…

しかし、医療従事者のしてくれる事を、このタイミングで断るほどの確信が、入院したての私にはまだありません。

気が進まないながらも、アルサルミンを飲む私。こういう時の粉薬って、キツイです。

うう…

程なく、襲いかかる吐き気。

トイレに駆け込み、便器を見ると、ザバーッと全部吐いてしまいました。白い粉薬が、そのまま出てきました。

ナースコール。みぞおちも、胃の裏側(背中)も痛くて、どうにもなりません。駆けつけた看護師さんも、泣きそうになりながら背中をさすってくれますが、どうする事も出来ません。

その後も担当医と連絡を取ってくださり、預けてある薬のうち、ストロカイン(胃痛を吐き気を抑える薬)は何度でも飲んでいいと言われました。が、ちょっとでも胃に何か入るとまた吐きそうなので、飲めそうにありません。

ようやく吐き気が落ち着いてきたのは、夕方遅くなってからでした。

病院の夕食は、18時から。とても、食べられそうにありません。

でも薬を飲まなければいけないので、少しはお腹に入れたほうがいいのかな。

その日の夕食は、焼き魚とお味噌汁。

恐る恐る、お味噌汁をすすります。美味しい…

お魚も、身をほぐして、少しだけ頂きました。

ご飯は、今日はやめておきます。

上向いてきた体調、ただし胃痛の不安は続く…

翌朝、前日の胃痛や吐き気が嘘のように治り、体調が早くもノーマルモードの私。精神状態もノーマルに戻りました。

週明けで戻ってきた担当の先生に、「吐いちゃったんですって?」と聞かれ、「ハイそうなんです…」と答えつつ、どこまで症状の異常な感じ、深刻さを訴えられたか…。多分、この時は、そこまでの深刻さを訴え切れていなかったのではなかったかと思います。

「あの先生、ネキシウム(胃薬)を、シンガポールでは40ミリ飲んでいたんですけど、それが日本では20ミリになって、胃痛がひどく出ちゃったので…。多分ネキシウムが足りないんだと思うんですけど、40ミリに戻してもらうことって出来ますか?」

すると先生はその時、「チームの先生たちに確認してきます」と言ってくれたのですが、次の問診では、

「日本の処方では20ミリがマックスなんです」

と言われ、結局ネキシウムの量を元に戻してもらう事は出来ませんでした

前日に胃痛が出た時に、

「シンガポールではネキシウムを40ミリ飲んでいて、入院してから今までの半量になったんです」と、看護師さんにも訴えたのですが、看護師さんは、

「あ〜、その量で慣れちゃってるとねぇ…

と言っていたので、そのうち、体が20ミリに慣れてくるっていう事なのかな…?

その後も、体調は回復しつつも、食後の胃痛に怯える日々が続きます。

そして、この2週間後に小腸に穴が空いている(小腸穿孔)と判明、緊急手術を受けることとなるのです。

つい、イライラ…

もともと早食いの私。反省、猛省です。

運ばれてきた食事を、ゆっくり、ゆっくりと、すり潰すようにして食べます。

…が、それでも早いんだと思います。食欲があると、20回も噛んでいられません。

食事が終わると、食後のお薬…。ですが、それは私だけでなく入院患者さん皆さんそうなので、看護師さんたちも忙しい。

それで、食後一時間以上が経っても、お薬が来ないなんて事はありました。

ただでさえ胃薬が足りないのに、このタイミングでステロイドを飲んだら、また胃痛が出てしまうかも…

そんな不安から、つい、イライラしてしまいます。

お膳を下げに来た看護師さんに、すかさず、

「すみません。お薬、持って来て頂けますか」と声をかけます。

「準備ができたらお持ちしますので、順番にお待ちください」

すぐには来て頂けません。やがて胃痛が、またみぞおち辺りに、鈍く出て来ます。

ナースコール。慌ててお薬を持ってきてくれた看護師さんの表情を見ると、私のイライラは顔に出ていたのだと思います。

余談ですが、病院の売店では、アンガーマネジメントの本や雑誌の特集があると、よく売れているようでした。

やはり、他の入院患者さんも、入院生活の中で不満やイライラを抱えていて、様々な怒りを抑えるのに必死なんだな、と感じました。

見落とされがちな「患者側の視点」

退院後のことです。入院中の話をしたところ、母から「ふーん。看護師さんも大変だねぇ」と言われたことがあります。

正直、カチンときました。なので、つい「だって看護師さんはそれがお仕事でしょう」と、言ってしまいました。

もちろん語るまでもなく、看護師さんは超多忙、体力気力ともに大変なお仕事です。入院中何度「ありがとうございます」と感謝の言葉を口にしたかわかりません。

でも、それ(看護師さんが大変な尊いお仕事)って、改めて私個人のエピソードの中で語るまでもなく、皆んな分かってる事、共通認識ですよね。

あえて言いますが、患者も大変なんですよ。

そして、大変なんだって、周りにあんまり言えないものです。(そりゃ人にもよりますが…)

排泄などのプライバシーを人様にさらさなければならないストレス、生活環境が制約されているストレス…

個人的に、「入院して楽してる」って思われることもかなり辛く、ストレスになりました。

詳しくは後述しますが、入院で全ての環境が変わるというのは、こんなにもストレスがかかる事なのかと、私自身、入院して初めて知った事です。



日本処方だと胃薬が半量に??足りない!!


個室に入院したものの、担当の先生、研修の先生、看護師さん、清掃の方、などがノックと同時にひっきりなしに入って来ます。

ベッドに腰掛けて、ノックが聞こえたらハイと言い、笑顔で対応。

昼間からベッドに横たわるのも落ち着かず、誰がいつ入って来てもいいように、緊張して過ごしていました。

担当の先生は、想像していたよりずっと若い先生でした。20代半ばくらいに見え、一緒に来た研修医の先生も同じくらいでしょうか。膠原病内科の医療チームで診てくださるとのこと。

好酸球性多発血管炎性肉芽種症の疑い

先生たちに、足の異常なかゆみから始まって、足がひざ下までパンパンに腫れて水泡ができたこと、その時は蜂窩織炎(ほうかしきえん)と言われたこと、血液検査の異常値、こめかみのコブ(血管?が一時的に膨れ上がったこと)、食後の胃痛、食事の時アゴが痛くて噛めない、筋肉痛と歩行難、そして、シンガポールでステロイドを40ミリ→20ミリに急に減らされてから、左目に起きた視野異常(一時的に何度も、白く塞がれたこと)、足のしびれなど、外来でも話した長い長い経緯をお話ししました。シンガポールの病院からもらった血液検査結果などの膨大なデータを(外来受診の時にも既に提出していましたが)ここでもお渡しします。

そして、その日のうちに、好酸球性多発血管炎性肉芽種症の疑いと診断されたのでした。

いつの間にか消えていた、胆のうの石

シンガポールでエコー検査をした時に、胆嚢(たんのう)に石があると言われていたので、その話もしたところ、「あ、胆のうの石は、無くなってましたよ」と言われてビックリ。

ステロイドを減らされてから様々な症状が出たので、看護師の友人のアドバイスもあって、血管や神経?が詰まらないようにと、水分を意識的にたくさん摂っていたから、自然に流れ出たのでしょうか??食事も一度にたくさん摂れないので、否応無くヘルシー寄りになっていたからでしょうか。よく分かりません。

でも、とりあえず良かった!

病院食に感激

入院は、出産以外では初めての経験でした。出産の時は、健康体なので、病院食とはいえ美味しく頂ける普通食でしたが、今回はどうなんだろう。

「ほうじ茶ラテさん。お名前フルネームと、生年月日お願いします」

ノックとともに、トレイが運ばれて来ます。メインの鶏肉のレモン煮に、ご飯とお味噌汁、おからの和え物。めっちゃ、美味しそう!!

海外から帰国したものにとっては、嬉しい貴重な和食!その上、味付けも塩分を摂り過ぎないよう工夫されつつ、しっかり繊細に仕上がっていて、とっても美味しい夕食でした。

嬉しくて、美味しくて、夢中でパクパクと平らげました。

見ると、翌週の分の献立表が挟まれてました。私は、「常食(普通食)」扱いだったので、メニューの中から、AかBか、献立を選択することができました

それから、夜の分のお薬を飲みましたが、その日は胃痛も全く出ませんでした

地下の売店に行き、ハンドソープ(個室の洗面台には付いていません)、シャンプーとリンスなど購入。

まるでホテルに一泊したかのような、幸せなひと時でした。

朝食、パン食でテンションが下がる

翌朝、早朝からアドレナリンが出ていて体調も良く、早速、地下の売店で足りない身の回り品ショッピング。

まずは携帯の充電器、靴下、カミソリ、毛抜き、院内用スリッパなどなど…

院内用スリッパは、転倒防止のため、かかとまでしっかりINするタイプ。

その日は、母と姉と、7歳の娘に面会に来てもらうことになっていて、靴下や下着、コップなど、身の回り品も少しお願いしていました。

そして、朝食は8時。今日の朝ごはんはパン食でした。わぁ、嬉しい!と思いましたが…

何でも好き嫌いなく食べる私からしても、パンのお味は、イマイチ…というか、パックした食パンをレンジで加熱するタイプのためか、お世辞にも美味しいとはいえません。もちろん、いちいち焼いているわけにはいきませんから、それは仕方ないとは思います。白い部分はふにゃふにゃ、周りの耳はかたく、アゴが痛くなる私にはハードル高め。パンが不味いって、あまり経験ありませんでしたが、巷の食パンよりもお味もイマイチなのに関しては、カロリー制限などでヘルシー仕様になっているためもあるのでしょうか?よく分かりません。

このパンに関しては、後述もしますが、献立表で「パン」とあるとテンションが下がるというものになってしまいました。入院していた他の皆さんも同じだったようで、パンの日に、下げた食器がロビーにあるのを見かけると、大半を残しているような方が目立ちました(私も、耳だけは残していました。)

もったいないことだとは思います。ただ、体調との兼ね合いもあるので、やはり美味しく頂けないものを、無理して食べる訳にはいきません。

とはいえ、初日の私は元気だったので、このパン食も平らげてしまいました。

そして、食後の薬の時間がやって来ました。


胃薬が足りない!!

その時点では、私は、ステロイド(プレドニゾロン)40ミリと、カリニーという肺炎予防薬、そしてネキシウムという胃薬40ミリを飲んでいました。

外来の時に胃薬、ネキシウム40ミリは多い!と言われ、「日本処方では、20ミリがマックスなんです。半分に割って使うか、日本処方の20ミリを使って下さいね」と言われていたのですが、胃痛に悩まされていた私には、胃薬を減らすなんて、とんでも無いこと、恐ろしいことでした。

朝食後、1時間ほどたってから看護師さんがお薬を持って来てくれました。

ステロイド(プレドニゾロン)40ミリに対して、胃薬(ネキシウム)20ミリ…

胃薬が、いつもの半量…。これで、胃痛が出ないで済むのかな??

不安に思いながら過ごしていると、だんだん、右のみぞおち付近に例の感覚が…

ああ、また…。

体に力が入らなくなり、手で右のみぞおち部分を抑えたまま、ベッドにうつ伏せになります。鈍痛が、おさまらず、少し吐き気もします。でも、この時はまだ、「いつもの症状だ、そのうち治まる」と思っていました。

看護師さんが来て、「シャワーは昼食の後でいいですか?」と聞かれました。正直、キツイな…と思ったのですが、家族と2時に面会する予定だったので、ハイ、お願いします。と答えました。

その日はあいにくの、雨。雨の中を子供連れで、電車で1時間もかけて来てもらうのは、今から考えても申し訳がなかったです。子供は病棟に入れないので、病棟外のスターバックスで待ち合わせしていました。

そのうち、昼食が運ばれて来ました。

胃痛、激しい嘔吐、初めてのナースコール

運ばれて来たお昼ご飯を見ても、全く食欲が湧きませんでした。

が、昨夜の夕食が美味しかった良いイメージがあったのと、出されたものは頂いてしまう、食い意地根性のようなものがあり、恐る恐る口に運びながら、なんだかんだで7〜8割ほど食べてしまったのです。

本当にバカでした。食べている途中から、胃とみぞおちに違和感が起こり、さすがに箸を置きました。

胃痛は、いつもの鈍痛に加えて倦怠感も激しく、少し吐き気を伴うものでした。

しかし、1時にシャワーに呼ばれ、バスマットと替えのパジャマとタオル、そして「使用中(空室)」のふだ(←後述しますが、このふだ、必要ないと思うんですよね〜)を受け取りました。2時に面会なので、慌ててシャワーに向かいます。

初めての、共用シャワールーム。バスマットや「使用中ふだ」の取り扱いに戸惑い、モタモタします。シャワールームには、腰かける椅子もありません。入院患者でなくても、高齢者が多い中、これは結構過酷な環境じゃないでしょうか…。シャワーを浴びるうち、だんだん、倦怠感がひどくなって来ました。

急いでシャワールームから上がり、やっとの思いで着替えると、髪も乾かさないままに、ベットに横たわりました。

もうすぐ、家族が面会に来るのに、どうしよう…。

子供は病棟に入れないので、病棟外のスターバックスで待ち合わせしていました。着替えてお化粧もして、元気な姿を見せたかったのに。

初めてのナースコール。「ナースコールは、押していいんだからね!」という元看護師の友人の言葉が後押しします。

「胃痛がひどいのですが、お預けしている胃薬をいただけますか?」

私は、胃痛がひどい時には、ネキシウム以外にも、シンガポールの病院からもらった胃薬(ストロカインという、胃痛や吐き気に効く薬と、アルサルミンという胃粘膜保護薬)を使っていて、全てナースステーションに預けてありました。

しかし、やって来た看護師さんの言葉は、意外なものでした。

担当医の許可が出ませんので、胃薬を、今お出しすることは出来ないんです」

その日は日曜日だったのです。

そして看護師さんがベッドに腰掛けて問診。「胃が痛い感じですか?」「右のみぞおち付近が、ずっと押さえていたい様な感じなのと、あと、胃の裏側というか、背中も痛いです」

何か、もどかしくてイライラして、いつも人様の前では取り繕っている自分から豹変しそうです。

看護師さんは一度ナースステーションに戻ると、カロナールという頭痛薬(鎮痛剤)を持って来てくれました。

実はシンガポールで胃痛、胃もたれ症状が常態化してから、胃に負担がかかるのが怖くて、なるべく頭痛薬は飲まないようにしていました。なので、ここに来て頭痛薬を口にするのは抵抗がありましたが、病院のすることだし…と、飲んでしまったのです。

ううう…

間も無く、激しい吐き気に襲われました

トイレに駆け込み、胃のひっくり返るような激しい嘔吐を、何度も繰り返しました。いつ、次の吐き気が襲って来るかわからず、病室を出ることが出来ません。

姉に、メールをしました。

「処置があって、すぐに行くことが出来ないので、2、30分待ってもらえるかな?ごめんね」

先ほどの昼食は、当然全てもどしてしまいました。最後に胃壁に張り付いていたであろうご飯粒の一粒まで吐き切ると、さらに吐き気が襲って黄色い汁を吐きます。吐くものがなくなってもえづき続け、胃が裏返るんじゃないかと思いました。少し吐き気が落ち着いたところで、再びナースコールをすると、家族と面会があるので、10分ほど出て来ますと伝えました。

家族と、5分間の面会

母と姉、そして娘が、ロビー内のスターバックスで待っていました。いつもは明るいロビーですが、その日はあいにくの雨で薄暗く、寒々としていました。

パジャマにすっぴん、薄物を羽織って到着した私。

髪型、似合うね。と言ってくれる家族。精いっぱい取り繕って笑顔で答える私。娘も、ママ〜!とニコニコしています。娘は髪を母に編んでもらったようで、いつもと少し違って見えます。ひときわ、可愛く見えました。

姉は、私への伝言や確認したいことをメモして来ていて、早口でいろいろなことを伝えてくれます。娘の学校のこと、予防接種のことなど…、

今だけ、今だけ、何とか持って…

私は取り繕っていましたが、だんだんと気分が悪くなって、耐えられなくなって来ました。

私の顔をじっと見つめていた母が、「もう、戻ったほうがいい」と、言ってくれました。

母親って、さすがだな…と思います。

「ちょっと薬の処方が変わったせいか、胃薬が足りなくて、体調が悪くなったの。戻るね、ごめんね…ありがとう」と言って、持って来てもらった下着や靴下などを受け取り、娘の頭を撫でて、病室に戻りました。

娘は、バイバーイ!と元気に手を振ります。たった、10分弱の面会でした。

母が、病院に来てくれたのは、これが最後になりました。




膠原病内科へ入院

銀行の定期預金を解約

さて、ベッドが空き次第の入院となった翌日の10月27日、早速に病院の入院受付から電話がありました。「個室に空きが出ましたので、明日から入院出来ます。一泊あたり3万◯千円になりますが、よろしいですか?」「は…はい!」

まずは入院資金を調達しなければと、銀行の定期預金を解約に行きました。

その後、国民健康保険の高額医療費の払い戻し、入院中に申請した難病の助成金、そしてすでに加入していた海外旅行保険も一部適用され、入院費のほとんどは戻ってくることになりますが、この時は、もういっぱいいっぱいで、そんなことも全く頭にありませんでした。

そして、銀行に行ったその足で、地元の、母のよく行く美容院に行きました。その時のわたしはロングヘア。入院中、髪が長いと負担になるから、思い切ってショートヘアにしようと思ったのです。

ばっさりショートヘアに

シンガポールではずっとロングヘアを束ねていました。実は帰国前も、髪を洗ったり乾かしたりする負担を軽減したくてローカルのヘアカットに行ったのですが、何故か、美容師さんが髪を短くすることに不服そう(笑)思えばシンガポールの女性(特に若い女性〜中年までの女性)は、ほとんどがストレートの長い髪をしていて、それが一番美しいという感性なのでしょうね。結局セミロングとなり、あんまり短くしてもらえなかったのです。

美容院では幸い、店内に誰もいなくて、わたしはたった一人のお客でした。

ご夫婦と娘さん一人で切り盛りされている美容院。なんだか、家族の中に突然お邪魔してしまった気分でした。カットの担当は、寡黙なご主人。「明日から1ヶ月くらい入院することになりまして、楽な髪型にしたいんですよね。」そう伝えると、鏡の中でじっと見つめるご主人と目が合いました。

「前下がりのボブって、初めてですか?こんなイメージで…」雑誌の写真を見せるご主人。「うーんそうですね…。でも、いいですね。お任せします。」

そうして、ロングヘアをばっさり切って、サイドは顔の長さ、後ろは少し刈り上げ気味に大胆に切ってもらいました。のちにわかるのですが、この、後ろを大胆に短く切ったことで、寝癖もできず、乾かす手間もなく、入院生活は大きく楽になったのでした。

病院までの道のり、駅のエスカレーター問題など

病院には一人で早朝、アネロのリュックひとつで向かいました。一泊旅行のようでした。最寄り駅までは5分でしたが、足がだんだん張ってきて、息も切れてきます。途中のバス停のベンチで一息つきました。

娘のこと、学校のこと、全て母と姉に託して、とりあえずの入院。入院中に病院側に事情を説明して、なんとか早く実家に帰してもらうつもりでした。このあと2ヶ月も帰れなくなるなんて、思いませんでした

入院する大学病院は、実家から電車で1時間ほどのところにあります。駅チカですが、最寄り駅にはなんとエレベーターもエスカレーターもありません。当時の私には、人と同じ速さで階段を登ることは出来ないので、とても危険でした。なので、事前に義母に教えてもらったエレベーターのある水道橋駅からタクシーで病院に向かいました。

余談ですが、エスカレーターで、日本ではみんな左側に立って、右側をあけますよね。急いでいる人は右側を通るように…という、暗黙の配慮でそうなったのでしょうが、あれは大変危険だと思います。なぜなら、皆がみんな、しっかり右側にスペースを確保した状態で、立っていられないからです。私のように歩行難があったり、杖をついているような高齢の方は、右側をすり抜けられるとバランスを崩し、転倒するかもしれません。

この話については後述しますが、私がのちに、点滴入院から退院する日に、駅でエスカレーターの右側にもたれかかるように立っていた高齢の男性がいました。すると、下から上がって来た40台くらいの男性が、「邪魔だから!」と言って、おじいさんを手で押しのけて行ったのです。おじいさんは怒って、「なんだよぅ、こら〜〜」と江戸弁で睨みつけました。

男性は振り返ってちょっとひるみましたが、そのまま行ってしまいました。一見すると、このおじいさんがタチが悪い人であるように感じる人が多いかもしれない、そんな場面でした。すかさず、一緒にいた主人が、「いいんですよ、右側に立って。危ないですからね!」と、声をかけました。おじいさんは、思いがけぬ加勢にちょっと驚いたようですが、照れ笑いして、「いや俺も悪かった。カッとなっちまって。今日、退院して来たもんだから

この人、今日退院して来たところなんだ!私と同じじゃん…

私の歩行難も、多分傍目にはわからないでしょう。それ以上に、世の中の人は足が悪い人、様々な理由で皆と同じには出来ない人もいるでしょう。

私も健康な時には、皆の迷惑にならないようにとか、生産性を考えて、無意識に過ごしているようなところがありました。そういう、自分自身の意識のひずみを、危うさをもろに突きつけられた出来事でもありました。

こう書きつつも、今も、エスカレーターでは、皆と同じように左に立ってしまいます。右を通る人の流れがなくても、です。主人は、混雑時でも右に立つことが出来る人ですが、それはそれで、危ないな、トラブルになるのに…ってハラハラしてしまうことが、正直あります。

この問題については、また後述したいと思います。

個室に入院

水道橋からタクシーに乗り、何とか病院にたどり着くと、入院受付で手続きを終えました。その場で、パジャマやタオルなどを毎日交換してくれるアメニティの注文手続きもしました。家族に負担はかけられないので、お金で解決できることは何でも頼ろうと思っていました。

そして病棟エレベーターに乗り、膠原病内科の受付を訪ねました。

案内されたのは、Bタイプという広い個室でした。でも、建物自体が古いせいか、全体的に旧式のデザインで、棚とか開くとギイって音がしてとテレビ台に当たるし、何よりうすっぺたくて荷物が入らない(笑)こう、何となく使い勝手が悪いんですよね。Wi-Fiもなく、3万の部屋ではシャワーありません。白く寒々しい、ザ・病棟という感じがしました。「白い巨塔」に出て来そう。

いや、そりゃ〜リゾートじゃあるまいし贅沢は言ってられないんでしょうが、でも一泊3万数千円も払ってるし。

シンガポールで娘が入院したことがありますが、そこでの病室は快適で、最新の設備に囲まれていました。日本は発展した時期が早く、数十年も前からの設備がそのまま使えるからなのでしょう、旧式となった建物や設備を、総入れ替えはせずに少しずつリニューアルしながら使い続けるので、しばしばこういうことが起こるのだと思います。

余談でした。

採血、試験管9本分

持ってきた500mlのペットボトルの水は底をつき、喉が乾きましたが、勝手に部屋を出るわけにもいかずキョロキョロしていると、若く人の良さそうな看護師さんが入ってきました。言われるがままに白いベッドに横たわり、まず、採血をしてもらいました。

9本分、採っていきますね」「ハイ」しばし、静かな時間が過ぎていきました。するとしばらくして、「…アレ?アレ??」と、首をかしげる看護師さん。「ちょっと、脱水気味な感じですかね…。」採血が、上手く採れないということでした。「お水、飲んでもいいですか?」「どうぞどうぞ」「持ってないんですけど、どこかでもらえますかね?」「水道水で大丈夫ですよ」

そこで、注文したアメニティについてきた歯磨きセットのコップで、水道水を急いで飲み干しました。そうか、日本では水道水でも飲めるんだ。

水道水を飲んでリセット。時間がかかったけど、どうにか、9本分採れたようでした。

「先生たち、簡単に何本分採ってって言うけど、採られる人の気持ちも考えてよって思います」

よほど私が痛々しく見えたのか、同情したようにつぶやく看護師さん。とても自然でフレンドリーな人でした。私は思わず、シンガポールから緊急帰国した事、7歳の娘を実家に預けているので、なるべく早く退院したい事などを話しました。

すると、「女の人たちは皆さん家族が心配で早く戻りたいっておっしゃいますね」と、ねぎらうような、敬うような目で私を見てくれました。すると不思議なことに、それだけで私の気持ちは少し落ち着いてきたのです。

この人が、これからずっとお世話になる看護師さんなんだ!と嬉しくなりました。

が、毎日朝晩と担当の看護士さんが変わると気づいたのは翌日からでした…。