ヌーカラ治療でステロイドゼロへの道!④ステロイド中止と、ホルモンバランス

退院してからもしばらくは、心膜炎の影響による放散痛だろうか、夜に左頬骨あたりに痛みが出たりした。

ただ、翌月の定期検診では、心筋梗塞のような動きをしていた心電図は正常化しており、CRP(炎症値)も0.02以下にまで下がって、いたって正常値であった。

好酸球数は、前回の31→59と少々上がっていたが、全体に回復傾向であることから、入院中から感染予防のために中止していたアザニン(免疫抑制剤)は再開されることになった。

この日は、CTで引っかかっていた甲状腺のしこりも耳鼻科で見てもらうことになっていたので、病院に着くや採尿→耳鼻科受付→採血(膠原病)→耳鼻科診察→心電図検査→膠原病内科→ヌーカラ注射→採血(耳鼻科用/甲状腺ホルモン検査)と、信じられないほどのハードコース。これがほぼ午前中に終了!

甲状腺のしこりは、サイズも6ミリと小さいもので、心配ないと思われ、経過観察していくとの事だった。

ヌーカラ注射を受けた直後に、採血しても大丈夫かな?と気になったが、それは問題ないとの事だった。

そして、10回目のヌーカラ注射を受けた。

くしゃみ鼻水ひどいが、好酸球に影響なし

12月のある日、娘の風邪がうつったか、朝からひどく鼻水が出たが、その日のうちにピタリと止まった。

しかし、その1週間後、再びくしゃみ、鼻水がひどくなる。これはなんのアレルギーだろう?

年明けも、特に夜中のくしゃみ、鼻水に悩まされたが、市販の点鼻薬でなんとか乗り切った。

冬になって気が付いたのは、例年冬場の寒い時は足のしびれが強くなる傾向があったが、今年に関しては、しびれは完全に無くなったかもしれない。ということだ。

また、この頃から、以前に比べて疲れにくくなったかもしれない。と感じていた。

筋力をつけるため、自宅マンションのエレベーターを使わずに、なるべく階段を使うように心がけていた成果も出てきたのかもしれない。初めの頃は、途中で絶対に息切れして休んでいたのに、この頃には一度も休まず6階まで上れるようになっていた。

1月の定期検査では、好酸球は前回59→52と、横ばいながらもやや下がっていた。

先生によれば、基本的に、くしゃみ、鼻水などのアレルギー症状は問題なしとのこと。

血液検査の数値にも問題がないので、このままの治療(免疫抑制剤アザニンを毎朝一錠服用+ヌーカラ100ミリを6週に一度注射)を継続することとなった。

そして、11回目のヌーカラを注射。

また、この日は耳鼻科外来も受診。前回の甲状腺のホルモン検査は異常なしとの事だった。

今後、半年に一度、耳鼻科外来(予約の必要なし)で、現在6ミリの甲状腺のしこりをエコーで経過観察するという。

生理と血管炎の関係?!命の母の効用

足がしびれていたことなど普段は忘れてしまうほど、しびれとは無縁の冬を過ごしていたが、2月になったある日、また再び、強いしびれがおそってきた。左足の、同じ箇所である。

また同日、右耳の閉塞感が1−2時間続いた。「耳がボッとふさがったような感じ」は、血管炎になる前からしばしば経験し、よくない兆候だ。

と、思ったら翌日、生理が始まった。生理が軌道に乗ると、足のしびれも、耳の閉塞感も、消えてなくなった。

前から思っていたのだが、生理前、あるいは生理中(または軌道に乗らない少量の生理がダラダラ続く時など)、血管炎に併発して起こる症状や不調が、顕著に出やすいと思うのである。

長期入院中は、ステロイドの影響か、生理がほとんどなかったのだが、少量の茶色いオリモノがダラダラと何日も続いたことがあり、その時はもう非常〜に、超、が付くくらい体調が悪かった。

やはり、ホルモンバランスの変化や、様々な異常が、全身をめぐる血管、血液に影響を及ぼしたのだろうか。

ステロイドパルス(ステロイドの大量点滴)やエンドキサンパルス(免疫抑制剤の大量点滴)をされる時の説明で、「副作用で生理が来なくなるかも」と言われたが、退院後しばらくして再び生理は始まり、4年が経った47歳現在もまだいちおう生理がある。

また、胃もたれ、吐き気といった更年期のような症状が出た時にも、「ステロイドの副作用で、更年期が早く来たのかも」、といわれたが、しかし、2019年から3年近く「命の母」を毎食後に欠かさず飲んでいるおかげか、ほぼそれらの症状は抑え込めている。

体感的に、ホルモンバランスを整えることが、かなり血管炎の症状の改善になる気がしている。

ホルモンバランスを整えるために、普段の食事、ストレスとの付き合い方なども、それまで以上に気を配るようになっていた。メイクやファッションへの考え方や嗜好も変わった。それまで、家にいるときはどーでもいい格好をしていたのが、コロナ渦で家を出ない日も薄化粧はする、服装も、シンプルで中性的なものから、女性らしいものを選ぶようになったことなど…。

自分の中に眠っていた女子力を今になってたたき起こし、更年期が顔を出さないように徹底的にやっつける!!という勢いである笑

ちなみに、翌月に乳がん検診を受けたが、良性の石灰化(乳腺の中にカルシウムが沈着した状態)は見られるものの、異常なしという結果だった。

妊娠したらどうなる??

ヌーカラ12回目の問診で、先生に聞こう聞こうと思って、結局聞けなかったことがある。それは…。

万が一にも、妊娠したらどうする??産める??

ということだった。

アザニン(免疫抑制剤)は、かつて妊婦には忌避であったが、最近は禁止ではなくなった、とも聞く。

ヌーカラはどうなのか?そもそも、微妙なホルモンバランスに体調が左右されるこんな状態で、妊娠、出産は可能なのだろうか?

第二子を産む予定はないし、そもそも年齢的に妊娠の可能性も低い。万が一、ではあるが…。気になっていることである。

ヌーカラ治療でステロイドゼロへの道!その③心膜炎の発症でいったん休み

2020年8月、1月からすでに6回のヌーカラ注射を受けた状態で定期検査に訪れた。

好酸球数は、前回42→38に。ほぼ横ばいだが、ステロイドを飲んでいないのに、増えるどころが若干下がったのはすごい事である。

時々、夜寝る前にくしゃみ鼻水が出たりするのと、便秘薬(酸化マグネシウム)を飲んでいても油断すると便秘になりがちなことを除いては、

①体力、筋力も付いてきた

②足のしびれもほとんどなくなった

と、体調は良好であった。先生には、「ステロイドなしでも大丈夫という太鼓判を押そう」と、CT検査の予約を取るように指導された。その後、7回目のヌーカラを打って帰宅。

9月、好酸球数は前回38→70とやや上がる。先生によれば、これはブタクサという秋の花粉の仕業だろうとの事。

自覚症状としては、相変わらずやや便秘気味だが、全体的にさらに体力、筋力が付いてきた。結果、運動量が上がり、それに伴って食事の量も若干増えてきたかもしれない。

ヌーカラ注射9回目、ペンタイプの注射に変更

10月、花粉によるアレルギー症状は治まってきたが、食事量が増えたせいか胃もたれが起きたり、ものもらいで目が腫れたりした。検査当日の朝は、歯磨きの際に少しえづいて吐いた。

また、運動量が増えたせいか、背中、肩、腰などに筋肉痛が起こりツラくなってきた。湿布のモーラステープをもらって対応する。

しびれは、今までしびれていた場所から移動したような感じで、これも運動量が上がったためか。

CTの結果が判明。甲状腺に1センチくらいのアデノーマ(腫瘍)があるとの事で、再検査することになった。ステロイドの仕業で今までモヤモヤして見えなかったらしい。

石灰化がないので、おそらくは良性だろうが、甲状腺がんなどの可能性を払拭するために念のため検査する、とのことだった。

そして、9回目のヌーカラ注射。今回からは、ペンタイプ(薬液を溶かさずにそのまま打つ?)に変更になり、注射時間が今までの数十秒→数秒と、大幅に短縮された!

ペンタイプのヌーカラ注射は、差し込む時にパチン!とホッチキスのような音がする。場所はいつも通り、左の二の腕。注射の痛み自体は、差し込みの時にいつも通りか、プラスαはあった。

心膜炎を併発し、ヌーカラ治療いったん休み

別記事にも書いたように、11月は発熱し、ウィルス感性による心膜炎+心筋炎と判明し入院

10日間の入院後、無事退院。心電図は、心筋梗塞か?と思うような動きもあるが、まぁ様子見で良い。心臓の腫れもひき、コルヒチンという炎症を抑える薬を自宅で内服することになった。

そんなわけでこの月はヌーカラ注射もいったん休み。翌12月に続きの10回目の注射を受けた。

血管炎による病気の併発と日常生活(見た目が元気そうに見える人)

炎症を抑えるコルヒチンの服用が決まり、血液の炎症反応も下がって安定し、落ち着いたところで退院した。心膜炎も大事に至らず、10日間の入院生活であった。

3年前、2か月の入院、手術(小腸切除)を経て退院した時と比べて、明らかにすぐに日常に戻れる感じがした。

やはり、40代前半でも、大きな手術を経た後は体力の回復に時間がかかったのだ。

あの時は実家に戻って、母のサポートを受けないと娘の世話や家事が不可能だった。家の階段も、這って登っていた。駅の階段は、手すりにつかまって一歩一歩登っていた。ただ、外ではなるべく平静を装い、無理してできるだけ普通の人のペースに合わせようとはしていた。

回想になるが、前回の退院後、免疫抑制剤(エンドキサンパルス)の点滴のため、月に一回/一泊入院を繰り返していた。

電車に1時間乗り病院に行くが、電車の優先席に座っていると、迷わず私の前に人が立つ。見ると、「お腹に赤ちゃんがいます」マークを付けた妊婦さん。圧を感じる…。

そりゃ、私も経験あるからしんどいの分かります。足が辛いし、よろけて転んだりしたくないよね。わかるだけに辛い。譲れるものなら本当に譲りたいのに、譲れない。本当に体力が無理なんです。

国指定の「難病です」マークがあったらマジ欲しい。鉢巻でもタスキでも何でもいい。

やっと駅に到着。

電車を降りても、後ろから来る人の邪魔にならないように、ホームの階段では、流れに乗らずに人の群れの一番後ろにつくようにした。エスカレーターが恐怖で、東京では右側を開けて急ぎの人を通すという習慣がまだ普通に行われているので、左側にじっと身を寄せる(一時は事故のもとで危ないのでやめよう、左右2列に並ぼうと言われていたが)。右側を通る人と少しでも接触すると、足が踏ん張れないのでヒヤッとする。

駅から病院までは徒歩3分程度である。

そこに、タクシーを使わなくてはならなかった。徒歩3分にタクシーである。

ただ、当時40代前半で、杖でも車椅子でもない。見た目は多分元気そうに見えていたのであろう。

駅前でタクシーを拾い、「〇〇病院まで」と告げると、「〇〇病院?歩いてすぐですよ??」と、運転手さんに本当に怪訝そうな顔をされた。まぁ、見た目元気そうで、付き添いもなく自力で歩いてるんだから、不思議に思うよなぁ(苦笑)

駅のエスカレーター、急ぎの人を通す恐怖

ある短期入院の帰り道、駅のエスカレーターで私の前方右側に立っていたおじいさんが、上がってきた男性に邪魔だよ!と言われて無理やりに追い越された。それでおじいさんが「何ダァオメェ!」怒鳴って、なんだかおじいさんがオカシイ人みたいな雰囲気になってしまいました。

すかさず、その時一緒にいた夫が、おじいさんに「大丈夫ですよ、右側に立つのは正しいんです。危ないですよね」と声をかけたら、おじいさんも落ち着いて、「いやオレも悪かった」。と言い、「実は今日退院してきたところなんだ」と言ったのでビックリでした。私と同じじゃん…。

見た目では特に具合が悪そうな印象はなく、失礼ながらちょっと柄の悪いおじいさん?という感じでした。側からは分からなくても、「今、退院してきた帰り」な人が私の他にもいたんだ。きっと、見てもわからないだけで、人混みの中にいる多くの人が、それぞれに色んなことを抱えているんだな…と気付かされた出来事でした。

それにしても、「エスカレーターの片側を開けて急ぎの人を通す」この習慣、なかなか無くならないですよね。片側を開けて欲しい心理はよく分かるのですが、このやり方だと、ホームに長蛇の列が出来て、なかなか人が捌けないし、混雑の元になっているのも事実。初めから2列を作った方が効率が良いという検証もありましたが、どうなんでしょうね。

病気を理由にPTA四役免除になると、他のママ友から「いいな〜」と言われる時代

あれから3年が経って、だいぶ筋力が戻ってきた。それでも、普通の同年代の女性より体力はないかもしれない。ただ、日常生活にさしたる弊害もなく、ワーキングママが多い日本の多くのお母さん方に比べて明らかにラク(時間的余裕のある生活)をしている

そう思って、娘の学校では、できる限りのボランティア(1日限りの単発)には参加していた。本の読み聞かせも、毎年のように引き受けている。

そんな矢先の心膜炎の発症だったから、正直驚きとショックと、本音をいえばほんの少しだけ安心した

いや、かなり安心したのかも(苦笑)。

一つは、あくまで自分の中で、無理をしなくてもいいと思えること。

二つ目は、PTA四役免除の大義名分を得ること。毎年恒例の、PTA会長などの本部役員を決めるアンケートに、「やむを得ない事情で引き受けられない」と迷いなく答えられることだ。ちなみに毎年、理由として「自己免疫疾患/血管炎性の難病で、投薬で日常生活は支障なく過ごせているが、病気の併発など、長期にわたる大役は迷惑をかけるリスクがあり、自信がないため。」としていた。

娘の幼稚園〜小学1年までの海外の日本人コミュニティでは、「うちは一人っ子だから」と率先して役を引き受けるようにし、結果いくつものボランティアを掛け持ちしたり、役を引き受けたりした。幼稚園バスボランティアも連続で引き受け、年長ではクラスマザー(クラス委員)にもなった。今思えばクレイジーな数のイベントを企画し、幼稚園の振替休日にはいつも、プレイグラウンドで遊ぶ企画、平日にはママたちのランチ会。

結果、心身に無理をかけた一因になった。が、それでもまだ、海外の日本人コミュニティのお母さん方のほとんどは任期のある駐在員の妻で、現地では専業主婦であるため、皆さんボランティアに積極的だったから良かったのだ。

今の日本の公立小学校はなんか空気感やシビアさが違う。

私の子どもの頃(30〜40年前)の日本と違い、子持ちの主婦も何らかの仕事をしているのが普通になりつつある。子どもが学校に上がればワーキングママが大多数と言っても良く、私の周りを見ても、専業主婦のママ友は私と、他2人くらいしか知らない。

皆さん、「一子一役」をやらない人がいるのはずるい、と言う。

「一子一役」とは、小学校生活6年間のうちに、一人の子供につき、一つは役員をやるべし。というルールである。主にクラス役員や、PTA会長、副会長、書記などの本部役員がそれだ。

ただし、クラス役員をやっていても、PTA四役選出の候補からは免れないという決まりがあるのだ。免除されたければ、それ相応の理由を書くしかない。

それで前述の、病気を理由とした「できない理由」を毎年書いてきたのだが、寝込んでいるわけでもなく日常生活に支障なく暮らしているのに、本部役員を免れているのはコミュニティの中で少々肩身が狭かったのが事実である。

役員選出アンケートの時はいつも、他のママ友からなんて書いた?などと聞かれ、病気を理由に出来ないとに○した、と言うと必ず「え〜いいな〜〜」とか「いいですね。私も書こうかな」って皆さんおっしゃる。初めの頃はドン引きしたし割と怖かったですけどね(苦笑)それくらい、役員ってなりたくないものなのかと。

結局、心膜炎になった翌年に、クラス委員にはなりました。しかも学年代表に。笑

それで役員の仕事の中で、今度は、次年度のクラス委員を決める立場になったのですが、アンケート取ると今の日本の社会のシビアさが伝わりますね…。ほとんどの方は、引き受けられないとし、仕事だ介護だ、下の子が小さい、もう一役やってるだと理由を必死で書いています。分かりますよ。だって今の日本のお母さんって絶対に忙しい。

日本ってかなり経済的余裕がある家庭じゃないとヘルパーさんとか雇わない(家に他人を入れない)ですよね。それで親御さんが元気でそちらに頼れる人はいいですが。少なくとも海外先進国(欧米やシンガポール)では普通の家庭でも、共稼ぎ家庭、あるいは子沢山など、妻に著しく負担がかかるような状況ならメイドさんを雇って解決する。そう言うもの、と言う感じで、決してハードルの高くないことでした。(海外のメイドの多くは安く雇われているので、それはそれで別の問題がありますが…。)

社会のシステム、文化習慣の問題でしょうが、なんかもう子育て中の皆さんあまりにも忙しい。

数年を経て日本に帰国して暮らした時に感じたんですが、かつてと比べて日本全体が疲弊して、すり減って、元気なくなっちゃってる感じですよね。

「一子一役」をやらないのはずるい?

日本は基本的には、サービスを提供する側と受ける側の、見えない主従関係のようなものはあると思いますが、保護者のコミュニティでは横並び(平等)を好み、非常にこだわるところだと思います。そりゃ、主従関係があったら大変ですが。笑

何が言いたいのかと言うと、私がやったのにあの人はやっていない。あの人は私より楽をしている。と言うのが本当に許せないみたいなんですよ。

それで、役員選出アンケートの時に、一緒に委員をしている他のお母さんが、「6年間でまだ一度も“一子一役”をやってないのに、今回も役員を引き受けられないと言っている人がいるかどうか」を、非常に気にします。

でも…。

理由は人それぞれで、それが引き受けられないシビアな理由に相応するかどうかは、その人にしか分からない。役員を逃げている人には逃げている理由が確実にあり、そういう人を無理に見つけ出してまで役員をやらせたとしても、はっきり言って活動の効率は悪いでしょう(現に、やってない「犯人探し」にこだわる人がいたために、まとめる立場としては余計な仕事が増えました)。

逃げている人がいるとして、何が何でも見つけ出してやらせようとしますかね?

例えば時給などの報酬の発生するお仕事なら、やりたくない人にわざわざやらせようとしませんよね。

やらない人がいるのは許せないとまで思うのは「やるのが当たり前」という認識と「やらなくて済むなら誰もやりたくない仕事だ」、という認識が同時に存在するからですよね。

私のような薬でコントロールできる範囲での持病持ちならまだしも、例えば、側から見てもわからないだけで、うつ病の人など大勢いると思うのですが。こんなこと(コミュニティの中で肩身の狭い思いをしたりして苦しむこと)がまたプレッシャーになって、心によくない影響を与えかねない。

なんだか今のシステムでは、平等信仰の通過儀礼のようなものになっていて、保護者間に重苦しいムードを漂わせ、ひいては学校の雰囲気、子ども達の心に影響しかねない。大変危うい状態だと思う。

平等信仰の弊害。人には人の事情がある

また、「仕事の有無は理由にならない」、と言うのが謳い文句になってますが、どんなお仕事でも同じではないですよね…。代わりの効かないお仕事って沢山ありますよ。何が言いたいのかと言うと、「できる人ができる時に」やれば良い、という程度の認識に捉え直し、変なふうにノルマやプレッシャーをかけてギスギスした雰囲気を保護者間に作らないことがまず大事だと思います。

ボランティアが好きで楽しく活動できる人は、必ず一定数います。また、気乗りしなかったけど、やってみたら楽しく出来た、という人も多いでしょう。

ただ断じて、みんなが平等にやらなきゃいけないものではないし、そうあってはならない。

暗黙の義務、というプレッシャーを与えることで、負の雰囲気が生まれ、活動そのもの自体の物理的な負担よりも、本当に無駄な精神的負担がかかる。PTAとか役員だとかいう言葉にネガティブなイメージだけが先行し、やってみれば案外なんでもない事でも、反射的に怖いことのように思える。

クラス委員の代表(リーダー)をやってみて思ったんですが、コロナ渦で集まりがほとんど無かったものの、結局、過去のデータに入っているフォーマットを基にして、プリントの作成は一人でできたし、無理にひとクラス3人も選ばなくても出来ますよ。配布物と流れを作る(他のクラス委員に連絡する)こと自体は一人で十分可能(むしろ一人の方が動きやすいこともある)。仲良し2人組とか、そのクラスごとに役員の数が違ったって全然いいし、イベントの時だけ別途お手伝いを募ることも出来る。

そもそも、PTAとはどういうものか?

子ども達の健やかな学校生活を支援するものであり、発足当時〜活動が盛んだった昭和のお母さんの多くは専業主婦でした。もちろん、いまより平均的に子沢山なので大変ですが、隣近所づきあいや大家族など、コミュニティに人と人との繋がりがあったので、なんとか回っていた面もあるでしょう。

その頃に比べると今は、圧倒的に保護者(特にお母さん)余裕率が少ない、激減している、と言えます。これは、前述したように、共稼ぎの世帯が増えていることに対して、社会のシステムがうまく噛み合っていないことと、日本人の気質なども関係しているでしょう。

社会生活の中で、時に忖度(そんたく)過剰となり、空気読み過多となり、人々は疲れ、それが出来ていない人に対して、図らずも厳しい目を向けるようになる。そんな中で、持病があるけど普段は元気そうに見える人、うつ病だけど外では元気そうに見える人、外では元気そうだけど仕事も家庭もトラブルを抱えて疲弊している人など、人それぞれに苦しんでいることが想像できる。

どうか、あの人は楽している、逃げている、ずるい、などと思う前に今一度、立ち止まってみませんか。そして、みんなで考えませんか。自分自身が病気になった時、うつになった時、余裕がなくてどうしょうもない時に、どのようなコミュニティであって欲しいかを。

個人主義が進み、「自分の時間」を使う上で、「収益(利益)になるかならないか」、ということが多くの人にとって最も大事な価値観ということだろう。しかしPTAの本来の存在意義であろう「子供たちが安心して学校生活を送るために」「子どもを取り巻く環境や自分の属するコミュニティがより良いものであるために」、という思いが本当にあれば、任意で活動に参加する人がもっと多くてもいいと思う。義理で、仕方なく、人目が気になるから、という理由でPTA活動を捉える人の多い今の日本の風潮は、ストレスを生み、そのはけ口が弱者に向いている。非常に寂しいことであり、社会として脆弱でもある。