2014年の春、ダンナの仕事で急遽、シンガポールに住む事に。
海外とはいえ、小さな国土に3万人の日本人が暮らすとも言われるシンガポール。子育てを通じた“古き良き”コミュニティの中で、忙しくも充実した生活を送りました。
しかし、
2年目に気管支喘息、
3年目にウィルス性心膜炎、
そして4年目。膠原病の一種で、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という難病にかかり、日本に緊急帰国しました。
当ブログでは、
①どのような経緯で病気に至ったのか
②どのような合併症を起こし、どのような治療を受けたか、
③退院後の生活について
お伝えしていきたいと思います。
(追記)★詳細は順次、記事にしていきます★
↓
発症した時点では、シンガポールの現地病院にて好酸球増多症の疑いと診断されました。血液検査で、白血球に異常値(ピーク時は40000超え)が出たのを発症とし、ステロイド治療が始まります。
ステロイドはまさに魔法の薬でした。一夜にして全身の筋肉痛や倦怠感などが、嘘のように改善し、楽になったのです。ステロイド1日40mgを1週間続け、再び血液検査をしたところ、数値は劇的に改善していました。
しかし、ここからが問題でした。
ローカル医の先生は、ステロイド1日40mg→20mgに減らし、
「次は1ヶ月後に受診して」と言ったのです。
その後、胃痛をはじめ、息切れや筋肉痛のぶり返しなど、様々な不安な症状が出て来ました。そして、2週間ほど経った頃、ついに左目の視野が、真っ白に塞がれるという、恐ろしい症状が出てしまいました。
慌てて救急で眼科を受診し、精密検査をしましたが、「眼球自体に異常はない」と言われ、「ステロイドの副作用かもしれない」といわれました。
視野が塞がれるのは、本当に一時的(5分間ほど)なのですが、次の受診までの間に、不定期に15回ほど起こりました。
次の受診でステロイドは再び20mg→40mgに戻されましたが、看護師をしている友人の強い勧めと、日本にいる友人の尽力もあり、日本に一時帰国し、大学病院で精密検査を受けることにしました。
その後すぐ、日本に帰国して入院、好酸球性多発血管炎性肉芽腫症と診断されました。国の難病に指定されています。
アレルギーが根源的な原因とされ、私の場合、以前に気管支喘息にかかったことも要因にあるようです。
そして、入院して安心していたのもつかの間、胃痛を繰り返し、小腸穿孔という、小腸に穴があく合併症を起こしてしまいます。
こうして私に起こった一連の出来事を、闘病記として書き記していく事で、他の方の役にも立つ事があればいいなと思います。
どうぞ、よろしくお願いします。