日本人のサービスのプロ意識に衝撃
羽田空港に到着して、今度は可愛らしく綺麗なJALのお姉さん(CAさんですかね)に車椅子を押してもらいました。細くて華奢な体で、たった一人で車椅子と、荷物を乗せたカートの両方を、同時に顔で押し始めたのにはビックリ!(チャンギ空港でおばちゃんに車椅子を押してもらった時は、荷物はすでに預けた後でしたからね…。)素早く無駄がない集中した動き、かつ落ち着いた丁寧な対応で、このプロ意識、というんでしょうかね、この根性を感じるサービス精神、ああ、ここは日本なんだな〜…と感じた瞬間でした。空港の出口に着くと、素早く走って行って、重そうな扉を笑顔で開けるJALのお姉さん。リムジンバス乗り場まで案内していただき、車椅子を降りました。
リムジンの中では爆睡です。わたしも娘も。
憔悴していた家族
リムジンを降りた駅で、母と姉と待ち合わせをしていました。普段ならヘルプなしでも帰れるのですが、流石に今回は体力に自信がなかったのです。
心配性の母としっかり者の姉、すでに来ているかな?と思ったのですが、珍しく、待つこととなりました。
しばらくして、慌ててやって来た母と姉。憔悴して見えました。わざわざ来てもらって申し訳なかったな…と後悔。実家まで電車でも2駅でしたが荷物があるので、皆でタクシーで帰ることにしました。
タクシーの中で話をしていると、「シンガポールからご帰国されたんですか?」と運転手さん。「…ええ」と、なぜか一瞬固まる家族をよそに、「そうなんです、わたしが病気になっちゃいまして、日本で受診した方がいいって言われまして。娘も向こうの学校を退学して、緊急帰国です」ペラペラと喋るわたし。「そうですか…」と、これまた固まり、それ以上何も聞かない運転手さん。
病気のこととかって、あんまり喋っちゃいけないのかしら?悪いことしたわけじゃないのにねぇ。まぁ、聞かされる方からしたら、思いっきりプライバシーだし気まずいのかな?
シンガポールの運ちゃんだったら、それでそれで?と矢継ぎ早にあれこれ聞いたり、余計な?アドバイスしたりしそうなので、これも文化の違いなんだな〜〜と。
わたしからしたら、別に恥でもないし、減るもんでもない、こんなことがあったんだよって、むしろ皆んなに知ってもらいたいくらいなんだけど…。現にブログで闘病記書いてるし。笑
しかし重要なことは、そうやって当人のわたしが呑気にしている間も、家族を想像する以上に重い空気にさせていたのだなぁと思います。
実家に着き、皆でお昼を食べました。久しぶりの日本で嬉しくて、病気のことも忘れてパクパク食べるわたし。アドレナリンが出ているのか妙に元気で、食欲も旺盛です。ふとみると、姉は食が進んでいない様子。胡麻豆腐を小さく箸で切って、それもなかなか喉を通らないでいるようです。あとから聞くと、姉は姉でこの頃、別件でも悩みを抱えていたようですが。
わたしより、家族の方が憔悴している…。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
血液内科を受診
翌日の10月26日、紹介を受けた某大学病院の血液内科を受診しました。
血液検査やCTの検査を経て、わたしのこれまでの経緯から、膠原病内科を受診するよう、紹介状を書いていただきました。ちなみに、CT検査では、腸にガスや、コロコロとした石のような便がたくさん詰まっていて、お通じはそれなりにあると思っていたので、ビックリでした。
これも、今にして思えば、2週間後に起こる小腸穿孔と無縁ではないのかなぁと思います。
膠原病内科を受診、そして…
その日の午後、膠原病内科を受診しました。先生は、わたしの長い長い経緯を聞くと、やはり、シンガポールでステロイドを1週間で40→20ミリに減薬されたことについて、「ステロイドを減量するタイミングが早かったと思いますね」と言われました。そして、穏やかに、「入院になりますね。」と言われました。
「どれくらいの期間の入院になりますでしょうか?」「1ヶ月くらいかな」
ええ、1ヶ月!!
娘を実家に預けているんですが、どうしよう…。小学校の転入手続きも、まだこれからで…。動揺して、いろいろ口走ったと思いますが、入院しなければならないという事実は揺るぎませんでした。
ベッドが空き次第の入院ということで、とりあえず入院予約をしましたが、まだ家族に伝えていません。病室を出てから、「入院することになりそう」シンガポールの夫とメールでやりとりをします。
しかし、このやり取りが、家にいる娘のiPadに表示されてしまったのです。
「おばあちゃん、なんて書いてあるの?」と娘が母に聞き…
そんな訳で、伝えるより先に、入院のことが母にバレて、余計に動揺させることになってしまいました。母にとってはわたしが通院することはあっても、入院、それも1ヶ月もの長期入院をするとは思っていなかったようで、今もこの時のことを、まさに青天の霹靂(へきれき)!!と言っています。