膠原病内科へ入院

銀行の定期預金を解約

さて、ベッドが空き次第の入院となった翌日の10月27日、早速に病院の入院受付から電話がありました。「個室に空きが出ましたので、明日から入院出来ます。一泊あたり3万◯千円になりますが、よろしいですか?」「は…はい!」

まずは入院資金を調達しなければと、銀行の定期預金を解約に行きました。

その後、国民健康保険の高額医療費の払い戻し、入院中に申請した難病の助成金、そしてすでに加入していた海外旅行保険も一部適用され、入院費のほとんどは戻ってくることになりますが、この時は、もういっぱいいっぱいで、そんなことも全く頭にありませんでした。

そして、銀行に行ったその足で、地元の、母のよく行く美容院に行きました。その時のわたしはロングヘア。入院中、髪が長いと負担になるから、思い切ってショートヘアにしようと思ったのです。

ばっさりショートヘアに

シンガポールではずっとロングヘアを束ねていました。実は帰国前も、髪を洗ったり乾かしたりする負担を軽減したくてローカルのヘアカットに行ったのですが、何故か、美容師さんが髪を短くすることに不服そう(笑)思えばシンガポールの女性(特に若い女性〜中年までの女性)は、ほとんどがストレートの長い髪をしていて、それが一番美しいという感性なのでしょうね。結局セミロングとなり、あんまり短くしてもらえなかったのです。

美容院では幸い、店内に誰もいなくて、わたしはたった一人のお客でした。

ご夫婦と娘さん一人で切り盛りされている美容院。なんだか、家族の中に突然お邪魔してしまった気分でした。カットの担当は、寡黙なご主人。「明日から1ヶ月くらい入院することになりまして、楽な髪型にしたいんですよね。」そう伝えると、鏡の中でじっと見つめるご主人と目が合いました。

「前下がりのボブって、初めてですか?こんなイメージで…」雑誌の写真を見せるご主人。「うーんそうですね…。でも、いいですね。お任せします。」

そうして、ロングヘアをばっさり切って、サイドは顔の長さ、後ろは少し刈り上げ気味に大胆に切ってもらいました。のちにわかるのですが、この、後ろを大胆に短く切ったことで、寝癖もできず、乾かす手間もなく、入院生活は大きく楽になったのでした。

病院までの道のり、駅のエスカレーター問題など

病院には一人で早朝、アネロのリュックひとつで向かいました。一泊旅行のようでした。最寄り駅までは5分でしたが、足がだんだん張ってきて、息も切れてきます。途中のバス停のベンチで一息つきました。

娘のこと、学校のこと、全て母と姉に託して、とりあえずの入院。入院中に病院側に事情を説明して、なんとか早く実家に帰してもらうつもりでした。このあと2ヶ月も帰れなくなるなんて、思いませんでした

入院する大学病院は、実家から電車で1時間ほどのところにあります。駅チカですが、最寄り駅にはなんとエレベーターもエスカレーターもありません。当時の私には、人と同じ速さで階段を登ることは出来ないので、とても危険でした。なので、事前に義母に教えてもらったエレベーターのある水道橋駅からタクシーで病院に向かいました。

余談ですが、エスカレーターで、日本ではみんな左側に立って、右側をあけますよね。急いでいる人は右側を通るように…という、暗黙の配慮でそうなったのでしょうが、あれは大変危険だと思います。なぜなら、皆がみんな、しっかり右側にスペースを確保した状態で、立っていられないからです。私のように歩行難があったり、杖をついているような高齢の方は、右側をすり抜けられるとバランスを崩し、転倒するかもしれません。

この話については後述しますが、私がのちに、点滴入院から退院する日に、駅でエスカレーターの右側にもたれかかるように立っていた高齢の男性がいました。すると、下から上がって来た40台くらいの男性が、「邪魔だから!」と言って、おじいさんを手で押しのけて行ったのです。おじいさんは怒って、「なんだよぅ、こら〜〜」と江戸弁で睨みつけました。

男性は振り返ってちょっとひるみましたが、そのまま行ってしまいました。一見すると、このおじいさんがタチが悪い人であるように感じる人が多いかもしれない、そんな場面でした。すかさず、一緒にいた主人が、「いいんですよ、右側に立って。危ないですからね!」と、声をかけました。おじいさんは、思いがけぬ加勢にちょっと驚いたようですが、照れ笑いして、「いや俺も悪かった。カッとなっちまって。今日、退院して来たもんだから

この人、今日退院して来たところなんだ!私と同じじゃん…

私の歩行難も、多分傍目にはわからないでしょう。それ以上に、世の中の人は足が悪い人、様々な理由で皆と同じには出来ない人もいるでしょう。

私も健康な時には、皆の迷惑にならないようにとか、生産性を考えて、無意識に過ごしているようなところがありました。そういう、自分自身の意識のひずみを、危うさをもろに突きつけられた出来事でもありました。

こう書きつつも、今も、エスカレーターでは、皆と同じように左に立ってしまいます。右を通る人の流れがなくても、です。主人は、混雑時でも右に立つことが出来る人ですが、それはそれで、危ないな、トラブルになるのに…ってハラハラしてしまうことが、正直あります。

この問題については、また後述したいと思います。

個室に入院

水道橋からタクシーに乗り、何とか病院にたどり着くと、入院受付で手続きを終えました。その場で、パジャマやタオルなどを毎日交換してくれるアメニティの注文手続きもしました。家族に負担はかけられないので、お金で解決できることは何でも頼ろうと思っていました。

そして病棟エレベーターに乗り、膠原病内科の受付を訪ねました。

案内されたのは、Bタイプという広い個室でした。でも、建物自体が古いせいか、全体的に旧式のデザインで、棚とか開くとギイって音がしてとテレビ台に当たるし、何よりうすっぺたくて荷物が入らない(笑)こう、何となく使い勝手が悪いんですよね。Wi-Fiもなく、3万の部屋ではシャワーありません。白く寒々しい、ザ・病棟という感じがしました。「白い巨塔」に出て来そう。

いや、そりゃ〜リゾートじゃあるまいし贅沢は言ってられないんでしょうが、でも一泊3万数千円も払ってるし。

シンガポールで娘が入院したことがありますが、そこでの病室は快適で、最新の設備に囲まれていました。日本は発展した時期が早く、数十年も前からの設備がそのまま使えるからなのでしょう、旧式となった建物や設備を、総入れ替えはせずに少しずつリニューアルしながら使い続けるので、しばしばこういうことが起こるのだと思います。

余談でした。

採血、試験管9本分

持ってきた500mlのペットボトルの水は底をつき、喉が乾きましたが、勝手に部屋を出るわけにもいかずキョロキョロしていると、若く人の良さそうな看護師さんが入ってきました。言われるがままに白いベッドに横たわり、まず、採血をしてもらいました。

9本分、採っていきますね」「ハイ」しばし、静かな時間が過ぎていきました。するとしばらくして、「…アレ?アレ??」と、首をかしげる看護師さん。「ちょっと、脱水気味な感じですかね…。」採血が、上手く採れないということでした。「お水、飲んでもいいですか?」「どうぞどうぞ」「持ってないんですけど、どこかでもらえますかね?」「水道水で大丈夫ですよ」

そこで、注文したアメニティについてきた歯磨きセットのコップで、水道水を急いで飲み干しました。そうか、日本では水道水でも飲めるんだ。

水道水を飲んでリセット。時間がかかったけど、どうにか、9本分採れたようでした。

「先生たち、簡単に何本分採ってって言うけど、採られる人の気持ちも考えてよって思います」

よほど私が痛々しく見えたのか、同情したようにつぶやく看護師さん。とても自然でフレンドリーな人でした。私は思わず、シンガポールから緊急帰国した事、7歳の娘を実家に預けているので、なるべく早く退院したい事などを話しました。

すると、「女の人たちは皆さん家族が心配で早く戻りたいっておっしゃいますね」と、ねぎらうような、敬うような目で私を見てくれました。すると不思議なことに、それだけで私の気持ちは少し落ち着いてきたのです。

この人が、これからずっとお世話になる看護師さんなんだ!と嬉しくなりました。

が、毎日朝晩と担当の看護士さんが変わると気づいたのは翌日からでした…。

日本到着。膠原病内科を受診

日本人のサービスのプロ意識に衝撃

羽田空港に到着して、今度は可愛らしく綺麗なJALのお姉さん(CAさんですかね)に車椅子を押してもらいました。細くて華奢な体で、たった一人で車椅子と、荷物を乗せたカートの両方を、同時に顔で押し始めたのにはビックリ!(チャンギ空港でおばちゃんに車椅子を押してもらった時は、荷物はすでに預けた後でしたからね…。)素早く無駄がない集中した動き、かつ落ち着いた丁寧な対応で、このプロ意識、というんでしょうかね、この根性を感じるサービス精神、ああ、ここは日本なんだな〜…と感じた瞬間でした。空港の出口に着くと、素早く走って行って、重そうな扉を笑顔で開けるJALのお姉さん。リムジンバス乗り場まで案内していただき、車椅子を降りました。

リムジンの中では爆睡です。わたしも娘も。

憔悴していた家族

リムジンを降りた駅で、母と姉と待ち合わせをしていました。普段ならヘルプなしでも帰れるのですが、流石に今回は体力に自信がなかったのです。

心配性の母としっかり者の姉、すでに来ているかな?と思ったのですが、珍しく、待つこととなりました。

しばらくして、慌ててやって来た母と姉。憔悴して見えました。わざわざ来てもらって申し訳なかったな…と後悔。実家まで電車でも2駅でしたが荷物があるので、皆でタクシーで帰ることにしました。

タクシーの中で話をしていると、「シンガポールからご帰国されたんですか?」と運転手さん。「…ええ」と、なぜか一瞬固まる家族をよそに、「そうなんです、わたしが病気になっちゃいまして、日本で受診した方がいいって言われまして。娘も向こうの学校を退学して、緊急帰国です」ペラペラと喋るわたし。「そうですか…」と、これまた固まり、それ以上何も聞かない運転手さん。

病気のこととかって、あんまり喋っちゃいけないのかしら?悪いことしたわけじゃないのにねぇ。まぁ、聞かされる方からしたら、思いっきりプライバシーだし気まずいのかな?

シンガポールの運ちゃんだったら、それでそれで?と矢継ぎ早にあれこれ聞いたり、余計な?アドバイスしたりしそうなので、これも文化の違いなんだな〜〜と。

わたしからしたら、別に恥でもないし、減るもんでもない、こんなことがあったんだよって、むしろ皆んなに知ってもらいたいくらいなんだけど…。現にブログで闘病記書いてるし。笑

しかし重要なことは、そうやって当人のわたしが呑気にしている間も、家族を想像する以上に重い空気にさせていたのだなぁと思います。

実家に着き、皆でお昼を食べました。久しぶりの日本で嬉しくて、病気のことも忘れてパクパク食べるわたし。アドレナリンが出ているのか妙に元気で、食欲も旺盛です。ふとみると、姉は食が進んでいない様子。胡麻豆腐を小さく箸で切って、それもなかなか喉を通らないでいるようです。あとから聞くと、姉は姉でこの頃、別件でも悩みを抱えていたようですが。

わたしより、家族の方が憔悴している…。本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

血液内科を受診

翌日の10月26日、紹介を受けた某大学病院の血液内科を受診しました。

血液検査やCTの検査を経て、わたしのこれまでの経緯から、膠原病内科を受診するよう、紹介状を書いていただきました。ちなみに、CT検査では、腸にガスや、コロコロとした石のような便がたくさん詰まっていて、お通じはそれなりにあると思っていたので、ビックリでした。

これも、今にして思えば、2週間後に起こる小腸穿孔と無縁ではないのかなぁと思います。

膠原病内科を受診、そして…

その日の午後、膠原病内科を受診しました。先生は、わたしの長い長い経緯を聞くと、やはり、シンガポールでステロイドを1週間で40→20ミリに減薬されたことについて、「ステロイドを減量するタイミングが早かったと思いますね」と言われました。そして、穏やかに、「入院になりますね。」と言われました。

「どれくらいの期間の入院になりますでしょうか?」「1ヶ月くらいかな」

ええ、1ヶ月!!

娘を実家に預けているんですが、どうしよう…。小学校の転入手続きも、まだこれからで…。動揺して、いろいろ口走ったと思いますが、入院しなければならないという事実は揺るぎませんでした。

ベッドが空き次第の入院ということで、とりあえず入院予約をしましたが、まだ家族に伝えていません。病室を出てから、「入院することになりそう」シンガポールの夫とメールでやりとりをします。

しかし、このやり取りが、家にいる娘のiPadに表示されてしまったのです。

「おばあちゃん、なんて書いてあるの?」と娘が母に聞き…

そんな訳で、伝えるより先に、入院のことが母にバレて、余計に動揺させることになってしまいました。母にとってはわたしが通院することはあっても、入院、それも1ヶ月もの長期入院をするとは思っていなかったようで、今もこの時のことを、まさに青天の霹靂(へきれき)!!と言っています。

空港での車椅子リクエストと、初のプレミアムエコノミー

緊急に娘の学校の退学手続きをし、帰国便の飛行機を取りました。先生にも事務の方にも、急なことでご迷惑をかけてしまいましたが、通常の退学手続きよりも早めて頂くことが出来て、本当に助かりました。とにかく、ほとんど着の身着のまま、という状態でした。

空港での移動に、車椅子をリクエストする

さて、主人が仕事を休めない中、一人で小1の娘(まだ手がかかりました…)を連れて帰国しなければいけません。しかも、相変わらずふくらはぎの筋肉が痛んで、5分以上は続けて歩けない状態でした。広い空港内の移動にも不安があります。とはいえ、まぁチャンギ空港〜羽田間は慣れているし、なんとかなるかなぁ、なんて呑気に構えてる私に、元看護師のIちゃんが「航空会社のサポートデスクに電話して、車椅子手配してもらってね。機内で何かあってもおかしくないんだから、サポートしてもらえることは全部頼んで、万全にしたほうがいいよっ」と後押ししてくれました。

初めてJALのサポートデスクに電話し、車椅子のリクエストを試みる私。「病気で歩行難があるのですが、車椅子を一台お願いできますか?」すると、搭乗できるか医師の診断書が必要な場合もありますが、どのようなご病気でしょうか、とのこと。感染症など、搭乗できないケースもあるということでしょうね。「好酸球増多症です」「コウサンキュウ…」電話口で、病名を聞き取るのも大変そう…。そして、調べてもらった結果、この病気の場合は搭乗可能とのことでした。一応、病院からの書類を持って行くことにしました。

人生初のプレミアムエコノミー

さらに、食事の時に噛むと顎が痛くなってくるのと、食後に起こる胃痛(右のみぞおち付近に、鈍痛が長く続いていました)があり、機内で普通に食事ができるのか不安があったので、機内食にはホームページに載っていた「消化の良い食事」を注文。そして、まぁ夜間便でしたが、少しでもゆっくり眠って体力をセーブしたいということで、生まれて初めて、プレミアムエコノミーに搭乗しました。

お見送りに主人も涙

後に残された主人が困らないように、なるべく家の中をシンプルに整理し、不用品などは少しずつ処分して過ごしていましたが、当時の私の体力では焼け石に水と言った感じで、思っていたことの半分もできませんでした。

娘が日本についてすぐ学校に通えるように、教科書と学用品をスーツケースに詰め込んで、着の身着のまま、バタバタと空港に向かう準備をしました。荷物も、たくさんは持てないので、スーツケースはたった一つでした。

主人が早めに仕事を切り上げて、空港に付き添いで来てくれることになったので、娘は大喜び。出発時間は予定を大幅に過ぎて、タクシーを呼ぶのが夜7時前になっていました。

お世話になったママ友たちにも、出発時間はあえて知らせないでいました。

タクシーを地下の駐車場に待たせて、主人と娘だけ先に荷物を持って出てもらって、玄関先にかがみこんでガサガサしていると、半開きのドアの向こうに、Iちゃんの姿が…!「最後に会えて良かった!」と言い合いました。ありがとう。お礼の言葉も見つからないわ。と言うと、カラダで返してもらうからね!と言われました。

ふくらはぎの筋肉痛のことも忘れて、慌てて駐車場に降りて行くと、待たせていたタクシーの脇に並んでいたのは、お世話になったママ友二人と、娘のお友達たち…。嬉しいやら申し訳ないやらで、なんと言ったらいいのか、ありがとう、ごめんねと繰り返すばかりで、気の利いた言葉が何も出てきませんでした。娘は大喜びではしゃいでいます。発車後も、バイバーイ!と振り返って手を振っていました。主人の目にもうっすらと涙が浮かんでいるようでした。

人生初の車椅子体験

チャンギ空港に着いて、JALのカウンターへ。チェックインを済ませた後、車椅子に乗って待つことしばし…。シンガポーリアンと思われるおばちゃんがやって来て、IDの提示を求められました。IDを見せると、そのままガラガラと車椅子を押して行き、出国ゲートで主人と別れることとなりました。車椅子の横に、ピッタリ着いてくる娘。

車椅子を押しながらゲホゲホゲホッと咳をするおばちゃん…。マスクもしてないので、容赦なく降りかかって来ます。それも、何度も。海外だと、咳が出るからと言ってあまりマスクする人いないんですよね。ステロイド治療中は、感染症になりやすいので、ぜひこのようなお仕事で咳の出るような方はマスクして欲しいと思います。

色々な手続きを通過して、落ち着いた場所に車椅子が止まりました。「Thank you!」と、笑顔で振り返ると…おばちゃんいない。え?え?え?

どうすればいいの??

キョロキョロすると、どうやらラウンジみたい。ママ〜〜…どうすればいいの?と娘。いや、ママも分かんないから。

でも、プレミアムエコノミーなんだから、ラウンジ使えるんだよね。使ったことないから、まごまごしちゃうけど。

見ると、パンやらサンドイッチ、プチケーキ、様々なお惣菜が、ブッフェみたいに並んでいます。勝手に食べて、いいんだよね。お金払えって言われたら、後で払えばいいんだもんね。

「ママ食べ物取ってくるから、ここに居てね!」見えやすい席に娘を座らせて、車椅子から立ち上がり、筋肉痛の足をふりしぼって、食べ物を取りに行きました。色々食べたいけど、機内食も出るし、わたしも娘も、食べられるものって限られていたので、小さなパンとプチケーキくらいにしました。わたしはお水で、娘はりんごジュース。

夕飯の時間を過ぎていたので、とにかく何かお腹に入れて、薬を早く飲まなければ!と言う思いでした。

がっかりでも正解?機内食「消化の良いお食事」

そろそろ搭乗口に移動しなければ…でも車椅子だし、という頃合いに、再びおばちゃん登場。良かった。でも、何か言ってよ〜〜…

そのまま搭乗口を通過、飛行機に乗り込むまで車椅子を押してもらいました。その後は、何とか歩いて座席へ移動。

搭乗して間もなく、機内食になりました。特別ミール「消化の良いお食事」ってどんなかな?

フタを開けると、彩りも美味しそう。おかずもヘルシー。でも、白いのがご飯ではなく、これは…はんぺんかな??パクッと一口。うーーん…。

確かに消化に良さそうだけど…。食べた気がしないなぁ。おかずは美味しいんだけど、普通の機内食でよかったかも…。

その時の感想は、ちょっとがっかり。

でも!!この後わたしの身に起こることを思えば、それくらい気をつけていて大正解だったのです。実際、この食事の後には胃痛(右のみぞおち付近の鈍痛)も一切起こらずに、体調も良く過ごすことが出来ました。

後述しますが、わたしはこの2週間後に、小腸に穴が空いてしまいます。

入院中に好酸球性多発血管炎性肉芽腫症という難病の一種であると診断されました。胃の内視鏡検査や大腸検査など様々な検査と並行して、ステロイド内服治療を続けますが、血管炎で身体中のあちこちが脆弱に、もろくなっていたのでしょうか。小腸に穴が空き(小腸穿孔)、切除手術をすることとなるのです。